小谷野敦 「反=文藝評論 文壇を遠く離れて」

   新曜社 2003年6月20日


 今時珍しく文学を道徳的にあるいは倫理的に読む試み。違うかな。
 最後の「『ノルウェイの森』を徹底批判する −−極私的村上春樹論」から。
 「わたしが春樹を容認できない理由は、たった一つ。美人ばかり、あるいは主人公好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と「寝て」くれて、かつ二十代の間に「何人かの女の子と寝た」などというやつに、どうして感情移入ができるか、という、これに尽きるのである。」
 「万国の労働者よ、もてない男よ、団結して村上春樹とその女たらし主人公どもを打倒せよ!」

 ようするに村上春樹の小説にはもてる男ばかりでてくる、それが気に食わないというわけである。たしかに村上春樹の小説には、髪振り乱して、「私を愛してくれないの?!」と迫る女はでてこない。男に都合がいい女ばかりがでてくる。でもそういう小説なんだから、そんなこと言ってもという気がするが。

 それはともかく、今、日本の文壇では村上春樹批判はタブーなのだそうである。不景気の文壇において、貴重なベストセラー作家は大事にせねばということらしい。文壇というところもなかなか窮屈なところのようである。文学者などというのは「世間」の圧力に一番強いかというとそうでもないらしい。というか文壇という「世間」の掟にがんじがらめにされているみたいなのである。日本の「世間」の力というのはつくづく強力なものであると思う。