矢幡洋 「危ない精神分析 マインドハッカーたちの詐術」

   亜紀書房 2003年8月8日初版


 一読、気が重くなる本である。
 PTSD(Post Traumatic Stree Distress )外傷後ストレス障害についての本であるが、「あるつらい記憶は抑圧され、本人にとっても思い出せないものになっているが、そのつらいできごとがPTSDをおこすのであり、その記憶を思い出すことによってのみPTSDはよくなる」という「記憶回復療法」を集中して論じたものである。
 ある時期、アメリカで娘が父親を告訴するという事例が多発した。自分が幼少の時に父親から性的な虐待をうけた、それがトラウマになっており、それにより現在の自分がXXの状態となっている。その保障をせよ、というのである。この理論はハーマンという女性の「心的外傷と回復」という本が提唱したものである。
 問題はこのトラウマが本人の記憶としては抑圧されているとされている点である。その抑圧されていた記憶が、テラピストの”誘導”でよみがえってくるのである。そして、”誘導”でもなかなか記憶がもどらない場合ほど、トラウマは重症であると判定されるわけである。極端にいえば、思い出せないことが、性的虐待があった何よりの証拠となる。そして治療効果があがらなければ、治療者がまだ十分に思い出せていないか、あるいはまだ別の隠されたトラウマがあることになり、決して、治療に失敗はないことになる。そして多くのひとはテラピーによってだんだん過去の性的虐待を”思い出して”くるである。しかし、そもそも経験もしていないことを思い出すなどということがあるだろうか? それが容易に可能であることが実験で証明された。たとえば、幼児の時迷子になりまわりが大騒ぎしたことがあるよね、というような示唆を繰り返すことにより、ひとは誘拐の”事実”の鮮明な記憶を呼び戻すものなのである。UFOに誘拐されたという記憶までもつくりだすことができるのだそうである。
 ところで、本書によれば、これはアメリカに広く流布する迷信である「悪魔崇拝カルト」と深く関連しているのだという。これは「悪魔を崇拝する大規模な秘密のカルトがアメリカ社会には数多く潜伏している。彼らは悪魔崇拝儀式を行い、生贄の動物や乳児を殺害し、集団で幼児に性的虐待を加える」というものなのだそうである。原理主義教派の影響が強い地域においては多くの人がこれを本気で信じているのだそうである。
 さて、この「記憶回復療法」は、つらい記憶は本来の記憶が記憶されるのとはとは別の部屋にそのままでしまいこまれているという仮説のもとになりたっている。しかし、それは最新の認知心理学の知見によって否定される。記憶とは再構成なのである。
 一時隆盛をきわめた「記憶回復療法」はすたれ、一時の、娘が父親を訴えるのから、クライアントがテラピストを訴える方向へと変っていった。
 しかし、なぜ、このような”いんちき”療法が一時的とはいえ隆盛をきわめたのであろうか?
 一つは、他人のこうむった傷を癒すというのは非常に魅力的な図式であるということがある。これはテラピストにとって誘惑的である。そしてクライアントもこの図式の中で”悲劇の主人公”になれるのである。これもクライアントにとっては魅力的である。そして、クライアント本人が知らないことを治療者は知っているという精神分析自体がもっている構造の問題がある。ある観察された事象は表面にでている問題のごく一部なのであり、その根元にはもっと大きな隠れた問題があり、そこを解決しないかぎり、表面の問題を解決しても意味がないとする見方である。そうい深刻な問題をあつかっているという図式はテラピストに自尊の念をもたらす。
 容易にみてとれるように、いくら俗流とはいえ、「記憶回復療法」はフロイト精神分析理論とかかわりをもつ。とすれば、「記憶回復療法」への批判はフロイト流の精神分析批判につながらざるをえない。
 フロイト理論は1960年代、行動療法と人間性心理学の左右双方から、非科学的である、あるいは、非人間的であるとして批判された。1970年代からは生物学的精神医学の成果によりおいつめられた。1980年代にはDSM(精神障害診断指針)から精神分析的見方が排除された。
 そして最後の批判が認知心理学の方面から来た。「記憶回復療法」の記憶理論はまったく認知心理学の知見と両立せず、そのことはひるがえってフロイトの無意識理論、超自我の監視によるある心的領域の無意識領域への抑圧という理論構造の基盤への懐疑となった。これからもフロイト理論は後退を続けていくであろう。
 そして、フロイト理論のもつもう一つの問題点は、その基盤に存在する強固な直線的因果論にある。原因は何か? それを除去しなければならないという発想である。これは機械の修理モデルである。内科的な身体病はそのモデルでよかろう(慢性疾患ではそうもいかないが)。しかし、こころについてはまだほとんど何もわかっていないにひとしい現状において、配線の切断のような機械的モデルではほとんど何も説明できない。しかしフロイトは終生、心の配線図を探求したのである。その結果、精神分析家は、患者の知らない「原因」をしばしば発見することになった。
 DSM第三版で病因論的な見方が一掃されたため「神経症」という病名がなくなり、「不安障害」という範疇にくくられることになった。「神経症」とは「心理的な原因によって引き起こされ、おもに心理療法で改善する」とされたいたものである。
 DSM第四版から認められたPTSDという病名はベトナム戦争後の帰還兵への政府補償のための政治的なカテゴリーであった。しかし、ここで第三版で排除された病因論がまた忍び込んできた。実は第三版の心理的原因放逐に不満をもっていたひとは多くいて、そういう人たちがPTSDという病名にとびついたのである。その背景には精神科医心理療法家の陣地の奪い合いがある。
 日本においては、「トラウマ」「PTDS」「アダルト・チルドレン」「機能不全家族」といった精神分析の「幼児体験が、本人にはそれとわからないかたちで後年なんらかの障害をひきおこす」という概念に合致する見方が広くうけいれられている。著者によれば、それは日本社会の依存性のためなのである。著者は依存性こそが日本社会を理解する鍵概念であるという。依存性の心理の根底にあるのは「自信のなさ」である。自分を半人前と考え、自分一人ではなにもできないとかんがえ、誰かと一緒にいることによってその不安をはらそうとする。依存性の高いひとはまた無責任でもある。自分には物事に対する責任があり、そのため何事かをなさねばならないというプレッシャーに耐えられない。したがって誰からも期待がかけられないその他大勢になろうとする。彼はは自分のことを誰かに決めたもらいたがる。それが日本で精神分析的なものがうけいれられる土壌である。
 日本でハーマンの「心的外傷と回復」が受け入れられたのは、阪神大震災のよるところが大きい。そこで日本人の中の他人のために何かしたいという隠れていた衝動が面にでてきたのである。そういう衝動にこたえる本であったのである。
 ところでなぜ日本では「父親狩り」がおきなかったのであろうか? その前にアメリカで父親告発に走った層が比較的経済的に恵まれた高学歴層であったという問題がある。かれらはそれにもかかわらず、不全感を抱いていたのである。それだからこそテラピーに走った。物質的には恵まれているが「人生」には満足していないのである。そして自分が不幸なのは誰かのせいだと思いたがっていた。ハーマンの本はそれに応えたのである。誰のせいなのかを教えてくれた。それが父であった。しかし日本では父親は家庭から遁走していくもの、性的対象を父は家庭の外部に求めるものと思われているのである。自分の娘を対象にするというようなことがあまり想像されなかった。だから父親へは刃先がむかわなかったのである。そのかわり日本では母親が犯人になったのである。成人の不幸の多くは母親の不適切な育児による。それが日本での神話である。
 そもそも、社会がもっとも負っているものを最も責めるという法則があるのかもしれない。西欧社会では、この社会があるのは父親のおかげであると思っていて、日本では母親のおかげと思っているのかもしれない。「アダルトチルドレン」の流行もそれと関係しているであろう。
 これらの一番大きな背景には、90年代以降、先進国では共通して、自分自身の人生に自分で責任をおうということがなくなってきていることがある。自分自身の人生に責任を負うべきものは父親か母親になったのである。

 これを読んで感じるのは治療者が患者あるいはクライアントにあたえる影響というのは恐ろしいものであるなあ、ということである。これはフロイト以来「転移」の問題としてつとに指摘されていることではあるが。臨床の場にいてつねにこころせねばならないことであると思う。
 フロイトの理論という一世紀前の理論が無傷で残っているということはありえない。そしてそれは、夢とはどういう現象か?記憶とはどういうメカニズムによるのか?ということについての新しい知見によって、基盤が崩されていく。
 しかし、それにもかかわらずフロイトの提出した枠組みにおいて救われるひとがいるのである。たとえば、養老孟司氏がそういっているし、岸田秀氏もそういっている。養老氏は自分が幼少の時に父親が死んだということを受け入れることができなかったことが、その後の自分を大きく規定したと考えている。岸田氏は無私に自分を愛してくれたと思っていた母親が実は自分自身のことのみを考えていたのだと気がつくことによって救済された経験を語っている。しかし、ことの真偽はたしかめようのないことである。ただそのような解釈をし、その結果、救われたという事実があるだけである。伊丹十三氏などもそういう経験をしているのであろう。ただここでのポイントは養老氏も岸田氏も自分でそのような理解にたどりついているという点である。他からの示唆によるのではない。
 医療は結果の世界であるから、どんな間違った理論によってであろうと、よくなればそれでいいことになる。問題は「記憶回復療法」によって改善した人間が絶無に近いという点である。大した問題もないのにたまたまテラピストをおとずれ、本当は存在しないもっと大きな問題を思い出さされて症状が像悪するというケースがほとんどなのである。偽の犯人にされた親にとってはあなはだ迷惑なことであるにしても、そういう偽の物語をつくることによって本人がよくなるのであれば、まだ救われるが、全然そうではないのである。医療者が一方的に病人を作り上げ重症化させていく症例を読むとはなはだ憂鬱になる。これほど大きなことではないにしても、健康診断によって健康人が病人になっていくケースはわれわれのまわりにいくらでもある。他人ごとでは決してない話である。
 もう一つ憂鬱なのが、ハーマンという本書を読む限りとんでもないひとが書いた「心的外傷と回復」を訳しているのがほかならぬわたくしが敬愛する中井久夫氏であるということである。矢幡氏はPTDSが日本で受け入れられる素地をつくったのが阪神大震災であるとしているが、阪神大震災がおきたのが1995年であり、「心的外傷と回復」が翻訳出版されたのは、1996年である。どのような経緯で翻訳出版されたのかはつまびらかではないが、中井氏は阪神大震災の時の神戸大学の精神科の教授であり、そこでの被災者の精神管理の先頭にたった人であり、氏自身も震災の記憶のフラッシュバックというPTSD症状に悩まされたことを著書に記している。わたくしがPTDSという病名を知ったのも中井氏が阪神大震災について書いた編著書によってだったように思う。このころ阪神大震災とかサリン事件とかがあって、その経験がその後の精神症状身体症状をつくったひとはいたであろうと思う。そういうひとは従来病人あつかいされなかった可能性が高いと思う。いつまでもくよくよしている、いい加減にしっかりしろ!程度であつかわれたひとが多いであろうと思う。そういうひとを病人としてあつかうことは本人の救済になる。中井氏がPTDS概念を普及させ、この本を翻訳したのも、そういう意図からではないかと思うのだが。矢幡氏もいっているように、PTSDという疾患自体を否定することはないのであるから。しかしこの点については「心的外傷と回復」を読んでいないのでなんともいえない。なにしろ高くて厚い本なのである。よくこんな本が日本で相当数売れたものだと思う。
 しかし、それにしても、「トラウマ」は文学の世界で大流行である。「永遠の仔」もそうだったし、キングにもそんな話があったような気がする。「海辺のカフカ」にも濃厚にその雰囲気がある。小説の最後において主人公の幼少時のできごとが明かされ、今までおきてきたことの原因が解明されるというような話がやたらと多い。何しろ精神分析というのは物語を心理療法家とクライアントが共同して作り上げるようなものだから、小説との相性がいいのかしれない。
 著者の矢幡氏は臨床心理士。かつてフロイトにかぶれたことがあり、現在「解決指向セラピー」というやりかたで心理療法をしているらしい。これは原因をさぐったり過去を検討したりせず、クライアントが「この点をかえたい」とすることのみに焦点をあわせ、何か小さな変化をおこすきっかけを作ることのみに専念するのだそうである。一つがかわれば連鎖してほかの何かもかわる、その結果みて軌道修正していく。過去にこだわらず前をむいていくやりかたである。
 矢幡氏は、精神のできごとがすべて脳内物質の変化で説明できるようななったとしても、それでも心理療法も有効であるという。あれかこれかではなく、あれもこれもでいいという。
 わたしのような心理療法好き、心理療法の本を読むのが好きな人間にとっては、きわめて示唆にとむ、また多くの警告をふくむ本であった。