谷崎潤一郎 「鍵・瘋癲老人日記」

   [新潮文庫 1968年初版 原著1962年初版]


 小林信彦の「面白い小説を見つけるために」を読んで興味をそそられたので、「瘋癲老人日記」を読んでみた。
 恥ずかしながら谷崎の小説を通して読むのは初めてである。昔「細雪」を読み出したことがあるが、通読できなかった。谷崎でなくても、太宰治以外は漱石・鴎外・藤村・直哉ほとんどあるいは全然読んでいないのだけれど。
 「瘋癲老人日記」が発表されたのはわたくしが中学3年ごろだから、リアルタイムに評判はきいていたが、誰も文句をいえない大家となった特権を利用して、わざと世の中を挑発してよろこんでいるのではないかと思っていた。三島由紀夫が「天皇」などといってるのと同じで、世の良識の逆をいって面白がっているだけなのだと感じていた。だから読まなかったのだが、中学3年のときに読んでもなんにも感じなかっただろうと思う。大体、カタカナ書きだからまだるっこしくて読めなかっただろうし。
 しかし、今読むと面白い。トイフコトハ、予モスデニ老境ニハイツテヰルノデアラウカ。
 小説にはちゃんと60年安保の世相が背景として書かれているが、これに昂然と背をむけて、「不能ニナツタ老人ノ性生活――不能ニナツテモ或ル種ノ性生活ハアルノダ」などということを書くこと自体が、時代に対する批評になっている。
 凄いのは小説に横溢するユーモアである。あるいは批評性である。老人のなすことが滑稽であり同時に崇高でもあるという構造は「ドン・キホーテ」などとも通じる。とするとサンチョに相当するのは誰か? 颯子だろうか? 婆さん? そうではなくて、ここに煩瑣なまでに列挙されている老人ののんだり注射したりしているさまざまな薬品の名前であるのかもしれない。
 男の崇高な面は女からは滑稽にしか見えない、というのが三島由紀夫の男性・女性観であった。この瘋癲老人は作者からすでに「瘋癲」となづけられている以上、世の中からは愚かで馬鹿げた存在と見えることは、作者は重々承知なのであるが、そのように物笑いの対象になってもあえて「瘋癲」であることを貫くことの中からしか崇高の姿は見えてこない、ということでもある。崇高ということは陰画の形でしか表現できないのかもしれない。だからこの瘋癲老人は小説の中では単におろかなだけであってもいいのであり、その瘋癲老人が(老人からはそうは見えていないが、実際にはどうということのないつまらない女性を種にして)何か花をさかせようとしている行為自体が何者かを読者に感じさせればいいのかもしれない。
 とはいってもそんなのは理屈であって、谷崎が読者に崇高とはどういうことかの演説をぶとうとしてこの小説を書いたということはありえない。小説というのはそういうものではない。ただ自分の中に潜む何かに形を与えることだけをめざしたのに違いないし、自分の中に潜む何かが表現するに値するという信念を死ぬまで持ち続けることができたという点が、谷崎の偉大であるのだろう。
 ここに書かれている医学知識が正確であることに一驚した。最後の「勝海医師病床日記抜粋」に「患者は長年高血圧や神経痛を患ったので、薬のことは大変よく知っており、うかうかすると新米の医師は負けてしまう」などという皮肉な記載があるが、小説家というのが好奇心旺盛でありよく勉強するものだということに感服した。
 60年代初頭をあらわす固有名詞が羅列されているが、それらが理解できるのもわたくしの世代が最後なのかもしれない。