中井久夫「時のしずく」 

  [みすず書房 2005年4月20日初版]


 中井久夫の第四エッセイ集。須賀敦子神谷美恵子を論じた文、あるいは早逝した門下生である安克昌を悼む文なども素晴らしいが、ここでは「親密性と安全性と家計の共有と」と題された家族を論じた文章をとりあげたい。
 現在の趨勢が続くならば、二一世紀の家族は、多様化し崩壊してしまうことが予想されるように見える、しかし外挿法ほど危ないものはない、と中井氏はいう。ひとつの傾向はかならずその反動も生むからと。
 中井氏によれば、生物としての人間の特殊性は、食物連鎖の頂点にある動物でありながら、多数であるということにある。通常、食物連鎖の頂点にいる生物は少数であり、ぶらぶらとなまけている。自分を食う動物がいないからであるが、そのためライオンの寿命は長いが数は少ない。
 生物の生き残り戦略は、数をたくさん産むか、少数を大事に育てるかのどちらかである。少数育児系の動物は家族を営む。多数出産運命任せ系統では家族を作らない。
 人間は多産系の戦略ももっている。三六五日性交可能であるし、妊娠期間が短く出産後すぐに妊娠できる。しかし、妊娠期間を短くしたため、赤ん坊を未熟児のまま産むことになり、他の多産系のようにいい加減な育児ではすまなくなった。多産系でありながらライオン型の家族をもつという点が人間の独自なところである。だからライオンのようになまけものではなく、ネズミほどにも勤勉である。人間は食物連鎖の頂点にいながら、多産を続け、これを維持するために勤勉だという例外的な動物なのである。
 しかし快適な生活を実現した社会では出産数が減る。ギリシャでもローマでもそうであったと推定されている。少産少子型の弱点は、子の数がある程度以下になると、種の遺伝子の弱点が露呈する点にある。また、個体が尊敬されるあまりに、規制が弱まり、倫理が崩壊する。
 しかし困難な時代になれば頼れるのは家族である。それの基盤は、狭い意味の性ではなく広い意味でのエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもいい。親密性と安全性と家計の共通性があればいい。
 長寿社会では以前ならば20年で済んだカップルが50年に延長する。離婚の増大は一つはそれによるかもしれない。また1910年ごろからめだってきている初潮の前進が問題であるのかもしれない。性の発現の前に社会性と個人的親密性を学ぶ機会を失うからである。
 
 わたくしもまた、今世紀に家族という制度は崩壊してしまうのではないかと思っているが、中井氏のいうように家族という制度は生物学的にも深い根拠をもつものなのであろう。しかし一夫一婦制については、どうなのであろうか。少なくとも一夫一婦制については崩壊するのではないかという予感がする。中井氏のいうように、同性、母子、他人とあらゆる組み合わせの家族は続いていくのかもしれないが、夫婦というのはその選択肢の一つに過ぎなくなり、もっと多様な形の家族形態が模索されていくものと思われる。ただ婚外子に対する偏見がきわめて強く、「できちゃった婚」などという言葉が流通している日本においては、それは相当に歪んだ形のものになる可能性が否定はできないが。
 わたくしは、人間は少産育児系であると思っていたので、多産系の因子も持つという中井説が意外であった。考えてみれば人間はこれだけの人口爆発をおこし、地球上にひしめいているわけである。最近の産児制限の普及を当たり前のように思って錯覚していたということであろう。
 文明の発達が少子化を産むというのは、これまた考えていなかった視点であった。トッドの説:教育の普及⇒女性の自己決定権の浸透⇒産児制限の普及⇒少子化という説明があまりにも鮮やかであったので、それを鵜呑みにしていたが、考えてみれば、文明の発達=教育の普及である。文明が発達すると、人のアニマル・スピリット(血気)のようなものが失われ、結果、子どもの数が減るのかもしれない。
 初潮の前進というのはいったいなぜおきてきているのだろうか? 人間が生物学的に変化したなどということはありえないから、環境要因であることは間違いない。栄養状態の改善ということがその原因なのであろうか? 栄養状態が悪い時代は感染症の時代であり、それがある程度改善すると脳卒中の時代となり、栄養が高度になると心臓病の時代、心筋梗塞の時代になるのだそうである。医療の進歩により、感染症が克服され、脳卒中が克服されたのではなく、単に経済が成長し栄養がよくなったことによりこれらの疾患は克服されてきたらしい。中井氏も述べているように、「日本では動脈硬化は非常に改善しており、私が二十歳代に見た眼底血管の高度な硬化は跡を絶った」のであるにもかかわらず、これから飽食の時代になると肥満が増え、生活習慣病が増えるという脅迫が日本中に充満している。中井氏も言うが如く、動脈硬化が改善しているのであれば長期的には老人性痴呆は減少するはずなのであるが、コレステロールが増え、血液がドロドロになるなどという神話が横行している。そして、栄養の改善は原則としてはわれわれによい影響を与えているのであろうが、そういう方向とは別の初潮の前進といったことにも関係し、われわれの文化の行方に決定的な影響を与えていくのであろう。
 この文はたかだか15ページほどのものであるが、その短い文章がさまざまな思考を呼び起こす。中井氏は現在の日本の有数の文章家であると思う。
 その例として、「安克昌先生を悼む」末尾を引用してみる。
 
 その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋〝カウル"であると。その空は、秋には冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中に堅固な意思と非妥協的な誠実があった。
 改めてきみをなつかしむ。
 きみは青く深い天〝ハウル"に去った。しかし、はたして去ったのか。きみは私たちの間にとどまりつづけもする。私たちの生命ある限り、きみの俤も、ことばも何気ないしぐさも、きみの残した希望も恨みも。
 精神科医は今、単純に安らかにお休みくださいとはいえず、おのれも安らかに眠ることができない。精神医学で喪の作業といい、この列島では成仏といい、かの半島では恨(ハン)を解くというのであろう仕事がこれから始まるのを知っている。その時まで、きみにさようならをいうのを待っていてくれたまえ。
 
 言葉による碑銘である。
 
 この数行によつて君は永遠に生きて、
 死はその暗い世界を君がさ迷つてゐると得意げに言ふことは出来ない。
 人間が地上にあつて盲にならない間、
 この数行は読まれて、君に生命を与える。
 (シェイクスピア ソネット第十八番 吉田健一訳)
 
(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

時のしずく

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