山田風太郎 「幻燈辻馬車」

  [河出文庫 1993年11月初版 原著1976年初版]


 「警視庁草紙」が「オール読物」に連載されていた時は知らなかったが、この「幻燈辻馬車」が「週刊新潮」に連載されていた時には時々目を通していて、やたらと実在の人物がでてくる変な小説だなと思っていた。これまた読んでいたものと思っていたのだが、最初と最後だけ読んで真ん中を読んでいなかった。ひどい話。それでこれまた初めて通読した。
 「警視庁草紙」よりも数等、落ちる作であるように思う。まず「警視庁草紙」にあった明るさやユーモアがない。主張が露骨に出すぎている。善玉・悪玉がはっきりしすぎている。敵役に魅力がない。そして主人公干潟干兵衛にも魅力がない。これは山田風太郎の作品としては珍しいのではないか? 肩に力が入りすぎているように思う。むきになり過ぎている。幽霊がでてくるというのもルール違反である。「忍法帳」ものでは、忍法の原理?が空とぼけた人を喰った科学的?合理的?説明により解明されるのが魅力であったのに、幽霊がでてきてしまったのでは、もうなんでもありである。なんでもありということは、どのようなご都合主義の筋でも作れてしまうということであって、事実この小説の進行はありえない偶然の集積となってしまっている。これは小説としてまずいのではないだろうか?
 それでも、小説の破綻を覚悟してまでも、氏が言いたかったことというのは、これが書かれていた当時進行していた反体制運動への見解である。本文中で「彼の心境は、まあ「赤軍派」の若者を見る「戦中派」の気持ちであったといおうか」といった絵解きまでしてしまっている。「警視庁草紙」が戦後の軽佻浮薄と志操の一貫性のなさへの反発と嫌味であったとすれば、それよりも10年位あとの明治をあつかった本書は、自由民権運動の描写を借りて、執筆当時の日本の反体制運動への同調と嫌悪をかなりストレートに表明したものとなっている。
 おそらく、反権力ということは山田氏の著作に一貫する通奏低音である。しかし反権力を志向するものは滅びなければいけないのである。なぜなら万一滅びずにいることができるならば、彼は“権力”となってしまうからなのである。「甲賀忍法帳」で次々と死んでいく忍者たちは死なねばならないのである。死ぬから美しいである。
 反権力運動が肯定されるのは、永遠に実現されることのないそこに掲げられる「理想」の美しさによってなのであり、その運動は一歩でも現実の政治に足を踏み入れた途端に、直ちに相対化されてしまい、権力を批判する基盤を失ってしまうのである。なぜなら、政治の世界とは権力なしには何も実現することのできない世界であるから。
 山田氏は、どうせ人間なんてという見解を否定する。人間は美しいものでありえるとする。しかし人間が美しいものでありえるのは、その美しさが現実の世界では実現されないからこそなのである。絶対に現実の世界では実現しないもの、それはもうすでに死んだ者の世界である。だから山田氏の著作は、死者の世界から生者の世界をみるという構造を持つ。
 「鞭をふるう干潟干兵衛の姿は、すでにその女房や息子と同じ燐光にふちどられれていた。爆裂弾を乗せた辻馬車は、水天わかちがたい夜の武蔵野を、まっしぐらに翔けていった。」という小説末尾は、おそらく山田氏の絶唱であろうが、普段の山田氏はこういう文は恥ずかしがって書かない。感傷をきらう。だが生涯に一度、こういう文章を書くことを自分に許したのであろう。
 「風と共に去りぬ」に、レット・バトラーが、敗色濃厚となった南軍に一兵卒として参加していくエピソードがある。もはや滅びることが確定したもの、風と共に去っていくことが確定したものである南部貴族文明に、それが滅びることが確定しているからこそ殉じることができるのである。この「幻燈辻馬車」を読んでいて、どう考えても縁もゆかりもないはずである「風と共に・・・」の一節を思い出してしまった。
 誰もがいうことであろうが、山田氏の明治物は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の明治のアンチである。司馬氏の明治が明るい青春の明治であるとすれば、山田氏の明治は暗い野蛮な明治である。もちろん、青春は野蛮なものであるから、それは同じ盾を違う面から見ているだけなのかもしれないが、司馬氏の小説は無私で清廉な人たちの物語であるのに対して、山田氏の小説の明治の主導者は我欲と汚濁の人がほとんどである。(と書いているけれどもわたしは「坂の上の雲」を最初の10ページで投げ出してしまっているので、もっぱら氏のエッセイからの推測であるが。)
 本書を読んで、明治の小説のいくつかを読んでみたくなった。「不如帰」とか。「不如帰」が、こういう背景をもった小説であることを初めて知った。恥ずかしい。田山花袋など全然読む気がしない作家であったが、ここでの可憐な少年像を示されると、ちょっと読んでみようかなという気になった。文学者は実業優先の明治においては、明白に虚業の敗残者である。どうも山田氏は実業が嫌いなようである。
 明治にあてる物差しが司馬遼太郎しかないのはちょっと困ったことである。山田氏のものと二本あれば、明治の像がいささかクリアになってくるのではないだろうか。そしておそらく司馬氏のものよりも山田氏のもののほうが実態により近いのではないかとも思う。そもそも司馬氏は、明治を昭和をみるための物差しとして使っているので、昭和を批判するためには、明治は美化されざるをえないのである。
 

(2006年3月29日ホームページ山田風太郎 「幻燈辻馬車」 [河出文庫 1993年11月初版 原著1976年初版]

 「警視庁草紙」が「オール読物」に連載されていた時は知らなかったが、この「幻燈辻馬車」が「週刊新潮」に連載されていた時には時々目を通していて、やたらと実在の人物がでてくる変な小説だなと思っていた。これまた読んでいたものと思っていたのだが、最初と最後だけ読んで真ん中を読んでいなかった。ひどい話。それでこれまた初めて通読した。
 「警視庁草紙」よりも数等、落ちる作であるように思う。まず「警視庁草紙」にあった明るさやユーモアがない。主張が露骨に出すぎている。善玉・悪玉がはっきりしすぎている。敵役に魅力がない。そして主人公干潟干兵衛にも魅力がない。これは山田風太郎の作品としては珍しいのではないか? 肩に力が入りすぎているように思う。むきになり過ぎている。幽霊がでてくるというのもルール違反である。「忍法帳」ものでは、忍法の原理?が空とぼけた人を喰った科学的?合理的?説明により解明されるのが魅力であったのに、幽霊がでてきてしまったのでは、もうなんでもありである。なんでもありということは、どのようなご都合主義の筋でも作れてしまうということであって、事実この小説の進行はありえない偶然の集積となってしまっている。これは小説としてまずいのではないだろうか?
 それでも、小説の破綻を覚悟してまでも、氏が言いたかったことというのは、これが書かれていた当時進行していた反体制運動への見解である。本文中で「彼の心境は、まあ「赤軍派」の若者を見る「戦中派」の気持ちであったといおうか」といった絵解きまでしてしまっている。「警視庁草紙」が戦後の軽佻浮薄と志操の一貫性のなさへの反発と嫌味であったとすれば、それよりも10年位あとの明治をあつかった本書は、自由民権運動の描写を借りて、執筆当時の日本の反体制運動への同調と嫌悪をかなりストレートに表明したものとなっている。
 おそらく、反権力ということは山田氏の著作に一貫する通奏低音である。しかし反権力を志向するものは滅びなければいけないのである。なぜなら万一滅びずにいることができるならば、彼は“権力”となってしまうからなのである。「甲賀忍法帳」で次々と死んでいく忍者たちは死なねばならないのである。死ぬから美しいである。
 反権力運動が肯定されるのは、永遠に実現されることのないそこに掲げられる「理想」の美しさによってなのであり、その運動は一歩でも現実の政治に足を踏み入れた途端に、直ちに相対化されてしまい、権力を批判する基盤を失ってしまうのである。なぜなら、政治の世界とは権力なしには何も実現することのできない世界であるから。
 山田氏は、どうせ人間なんてという見解を否定する。人間は美しいものでありえるとする。しかし人間が美しいものでありえるのは、その美しさが現実の世界では実現されないからこそなのである。絶対に現実の世界では実現しないもの、それはもうすでに死んだ者の世界である。だから山田氏の著作は、死者の世界から生者の世界をみるという構造を持つ。
 「鞭をふるう干潟干兵衛の姿は、すでにその女房や息子と同じ燐光にふちどられれていた。爆裂弾を乗せた辻馬車は、水天わかちがたい夜の武蔵野を、まっしぐらに翔けていった。」という小説末尾は、おそらく山田氏の絶唱であろうが、普段の山田氏はこういう文は恥ずかしがって書かない。感傷をきらう。だが生涯に一度、こういう文章を書くことを自分に許したのであろう。
 「風と共に去りぬ」に、レット・バトラーが、敗色濃厚となった南軍に一兵卒として参加していくエピソードがある。もはや滅びることが確定したもの、風と共に去っていくことが確定したものである南部貴族文明に、それが滅びることが確定しているからこそ殉じることができるのである。この「幻燈辻馬車」を読んでいて、どう考えても縁もゆかりもないはずである「風と共に・・・」の一節を思い出してしまった。
 誰もがいうことであろうが、山田氏の明治物は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の明治のアンチである。司馬氏の明治が明るい青春の明治であるとすれば、山田氏の明治は暗い野蛮な明治である。もちろん、青春は野蛮なものであるから、それは同じ盾を違う面から見ているだけなのかもしれないが、司馬氏の小説は無私で清廉な人たちの物語であるのに対して、山田氏の小説の明治の主導者は我欲と汚濁の人がほとんどである。(と書いているけれどもわたしは「坂の上の雲」を最初の10ページで投げ出してしまっているので、もっぱら氏のエッセイからの推測であるが。)
 本書を読んで、明治の小説のいくつかを読んでみたくなった。「不如帰」とか。「不如帰」が、こういう背景をもった小説であることを初めて知った。恥ずかしい。田山花袋など全然読む気がしない作家であったが、ここでの可憐な少年像を示されると、ちょっと読んでみようかなという気になった。文学者は実業優先の明治においては、明白に虚業の敗残者である。どうも山田氏は実業が嫌いなようである。
 明治にあてる物差しが司馬遼太郎しかないのはちょっと困ったことである。山田氏のものと二本あれば、明治の像がいささかクリアになってくるのではないだろうか。そしておそらく司馬氏のものよりも山田氏のもののほうが実態により近いのではないかとも思う。そもそも司馬氏は、明治を昭和をみるための物差しとして使っているので、昭和を批判するためには、明治は美化されざるをえないのである。
 
山田風太郎 「幻燈辻馬車」 [河出文庫 1993年11月初版 原著1976年初版]

 「警視庁草紙」が「オール読物」に連載されていた時は知らなかったが、この「幻燈辻馬車」が「週刊新潮」に連載されていた時には時々目を通していて、やたらと実在の人物がでてくる変な小説だなと思っていた。これまた読んでいたものと思っていたのだが、最初と最後だけ読んで真ん中を読んでいなかった。ひどい話。それでこれまた初めて通読した。
 「警視庁草紙」よりも数等、落ちる作であるように思う。まず「警視庁草紙」にあった明るさやユーモアがない。主張が露骨に出すぎている。善玉・悪玉がはっきりしすぎている。敵役に魅力がない。そして主人公干潟干兵衛にも魅力がない。これは山田風太郎の作品としては珍しいのではないか? 肩に力が入りすぎているように思う。むきになり過ぎている。幽霊がでてくるというのもルール違反である。「忍法帳」ものでは、忍法の原理?が空とぼけた人を喰った科学的?合理的?説明により解明されるのが魅力であったのに、幽霊がでてきてしまったのでは、もうなんでもありである。なんでもありということは、どのようなご都合主義の筋でも作れてしまうということであって、事実この小説の進行はありえない偶然の集積となってしまっている。これは小説としてまずいのではないだろうか?
 それでも、小説の破綻を覚悟してまでも、氏が言いたかったことというのは、これが書かれていた当時進行していた反体制運動への見解である。本文中で「彼の心境は、まあ「赤軍派」の若者を見る「戦中派」の気持ちであったといおうか」といった絵解きまでしてしまっている。「警視庁草紙」が戦後の軽佻浮薄と志操の一貫性のなさへの反発と嫌味であったとすれば、それよりも10年位あとの明治をあつかった本書は、自由民権運動の描写を借りて、執筆当時の日本の反体制運動への同調と嫌悪をかなりストレートに表明したものとなっている。
 おそらく、反権力ということは山田氏の著作に一貫する通奏低音である。しかし反権力を志向するものは滅びなければいけないのである。なぜなら万一滅びずにいることができるならば、彼は“権力”となってしまうからなのである。「甲賀忍法帳」で次々と死んでいく忍者たちは死なねばならないのである。死ぬから美しいである。
 反権力運動が肯定されるのは、永遠に実現されることのないそこに掲げられる「理想」の美しさによってなのであり、その運動は一歩でも現実の政治に足を踏み入れた途端に、直ちに相対化されてしまい、権力を批判する基盤を失ってしまうのである。なぜなら、政治の世界とは権力なしには何も実現することのできない世界であるから。
 山田氏は、どうせ人間なんてという見解を否定する。人間は美しいものでありえるとする。しかし人間が美しいものでありえるのは、その美しさが現実の世界では実現されないからこそなのである。絶対に現実の世界では実現しないもの、それはもうすでに死んだ者の世界である。だから山田氏の著作は、死者の世界から生者の世界をみるという構造を持つ。
 「鞭をふるう干潟干兵衛の姿は、すでにその女房や息子と同じ燐光にふちどられれていた。爆裂弾を乗せた辻馬車は、水天わかちがたい夜の武蔵野を、まっしぐらに翔けていった。」という小説末尾は、おそらく山田氏の絶唱であろうが、普段の山田氏はこういう文は恥ずかしがって書かない。感傷をきらう。だが生涯に一度、こういう文章を書くことを自分に許したのであろう。
 「風と共に去りぬ」に、レット・バトラーが、敗色濃厚となった南軍に一兵卒として参加していくエピソードがある。もはや滅びることが確定したもの、風と共に去っていくことが確定したものである南部貴族文明に、それが滅びることが確定しているからこそ殉じることができるのである。この「幻燈辻馬車」を読んでいて、どう考えても縁もゆかりもないはずである「風と共に・・・」の一節を思い出してしまった。
 誰もがいうことであろうが、山田氏の明治物は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の明治のアンチである。司馬氏の明治が明るい青春の明治であるとすれば、山田氏の明治は暗い野蛮な明治である。もちろん、青春は野蛮なものであるから、それは同じ盾を違う面から見ているだけなのかもしれないが、司馬氏の小説は無私で清廉な人たちの物語であるのに対して、山田氏の小説の明治の主導者は我欲と汚濁の人がほとんどである。(と書いているけれどもわたしは「坂の上の雲」を最初の10ページで投げ出してしまっているので、もっぱら氏のエッセイからの推測であるが。)
 本書を読んで、明治の小説のいくつかを読んでみたくなった。「不如帰」とか。「不如帰」が、こういう背景をもった小説であることを初めて知った。恥ずかしい。田山花袋など全然読む気がしない作家であったが、ここでの可憐な少年像を示されると、ちょっと読んでみようかなという気になった。文学者は実業優先の明治においては、明白に虚業の敗残者である。どうも山田氏は実業が嫌いなようである。
 明治にあてる物差しが司馬遼太郎しかないのはちょっと困ったことである。山田氏のものと二本あれば、明治の像がいささかクリアになってくるのではないだろうか。そしておそらく司馬氏のものよりも山田氏のもののほうが実態により近いのではないかとも思う。そもそも司馬氏は、明治を昭和をみるための物差しとして使っているので、昭和を批判するためには、明治は美化されざるをえないのである。
 
(2006年3月29日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

幻燈辻馬車

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