中島岳志「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」
[白水社 2005年4月30日初版]
これを読んでみようと思ったのは、養老孟司の「無思想の発見」で紹介されていて面白そうだったのと、大仏次郎論壇賞をとって話題になったからである。
それで読んでみての感想は、なんだかよくわからないな、というものである。中島氏がこの本で、R・B・ボースという人の伝記を書きたかったのか、それともボースという人を材料にして近代日本のアジア主義につき考察しようとしたのか、それが見えない。
というのは、この本から判断する限り、ボースという人は主観的にはインド独立運動に一生をささげた人だったとしても、客観的にはインド独立にはほとんど何の役割も果たすことができずに終わった人のように見えるからである。結局は日本にインド・カリーを紹介しただけに終わった人かもしれないのである。
本人は何らインド独立に貢献できなかったとしても、それにもかかわらず貢献できなかったそのこと自体が近代日本のアジア主義の問題点をあぶりだしている、というねじれた視点が本書の骨子である。とすれば、これは、実は近代日本のアジア主義は主観的には東南アジア解放を唱えていたとしても、客観的にはインドをふくむ東南アジアの解放にはなんら貢献できなかったという、以前から多くのひとによっていわれてきたことの蒸し返しにすぎないのかもしれない。ただそこにボースという生身の人間、自身自国の独立を希求するインド人という像を発掘してくることによって、近代日本のアジア主義の問題点を非常に具体的でヴィヴィドな形でしめすことができたという功績はあるかもしれない。
しかし、そうであるのならば、中村屋のカリーの話など余計なのである。どうも中島氏はボースという人間にほれ込みすぎていて、発見できた伝記的資料をこの書物に投入しすぎている印象がある。わたくしには中島氏がのめりこんでいるほどには、ボースという人間が魅力的にはみえない。むしろ政治に翻弄される善意の人というかなり類型的な人物像のように見えてしまう。本来、本書は、「インド独立運動と近代日本のアジア主義 R・B・ボースを例として」という学術論文と、「R・B・ボース:忘れられたインド独立運動家と中村屋」というような一般向け啓蒙書の二冊にわけてかかれるべきものだったように思う。
ところで、養老氏が問題にしていたのは、「しかし、彼らには思想がなかった。頭山満も内田良平も、時事評や戦略論、精神論は盛んに論じていても、後世に残るほどの思想を提示していない。いや、正確に言うならば、彼らは意図的に思想を構築することを放棄していた。彼らは「思想」というものに対して、積極的に無頓着たろうとしていた。」という部分である。この部分で中島氏が「彼らには思想がなかった」と書くことを養老氏は批判する。彼らにも思想はあったのだ、と。ただそれは西洋風の思想ではない。だからといって、それを無思想などと安易にいってはいけないという。
中島氏は頭山氏らが重視したのは思想ではなく、「人間的力量やその人の精神性・行動力」であったという。なぜ、そうなったのか? それは「思想」というのは人為のものであるとしたからではないだろうか? 世は人為を排し自然のままにまかせればうまくいく、とすれば賢しらな思想など無用の長物である。ただ誠意をもって世の不自然を排していけばいいのである、としたのである。「なる」の思想である。どうこう「する」という不自然を排すればいいという「思想」である。たしかにこれも「思想」ではあろう。しかし「政治思想」ではありえない。中島氏が「彼らには思想がなかった」と書いたのは、「彼らには政治思想がなかった」という意味である。それを養老氏は「彼らには自然本位という思想があった」とだと批判する。しかし、「自然本位」などというのは「政治思想」ではありえない、というのは、今度の敗戦からわれわれがえた苦い教訓なのではないだろうか? 養老氏は、今次大戦をアメリカは現実だと思っていたが、日本は思想だと思っていた、と書く。しかし、日本の思想とは大和魂であり精神力なのである。それを今さら、日本は無思想ではない、思想がある、などといわれると困ってしまう。戦争は思想であってはいけない。戦争は現実でなければならない。どうも養老氏の批判はおかしい。
だいぶ昔に、臼井吉見氏の「安曇野」という小説が評判になったことがあった。その舞台が新宿中村屋で、主人公が相馬愛蔵・黒光夫妻ということを噂できいて、どうも中村屋というのはただのパン屋さんではないらしいな、ということを何となく聞き知ったのだが、結局、この小説は読まず仕舞いになってしまったので、何でただのパン屋さんではないのかを知らないままで終わってしまった。今回ようやく、それを知ることができた。この中村屋をめぐるサロン群像というのはなかなか小説的かつ魅力的である。「安曇野」にもボースは登場するのだろうか? でてこないとおかしい気がするが、本書の参考文献の中には「安曇野」はなかった。
(2006年3月29日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)
- 作者: 中島岳志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2005/04/01
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