渡部昇一「新常識主義のすすめ」(2)


 前に続いてid:jmiyaza:20060502、タイトルとなっている「新常識主義のすすめ」という論をとりあげる。この論文は匿名氏によって書かれた「Him-The Animal In Me 」というポルノ小説を題材にしたものである。現代の大作家が匿名で書いたといわれるもので、あらすじが5ページくらいにわたって要領よく紹介されている。それをさらに約めて紹介することは困難であるが、それでも試みるならば、グループ・セックスの信者であるある魅力的な若い女性が、結婚した大金持ちのしかし性的には保守的な夫を啓蒙するため父違いの姉を呼びよせ、男1女2の関係を構築する。はじめのうちはうまくいっているが、夫と姉が文学的趣味を共有することが判明し二人の間で単なる性的な関係だけでない共感が生じるようになるとともに、姉が夫の子をみごもったのがわかると、嫉妬に狂う夜叉と化し、共同生活はもろくも崩壊する、というものである。
 渡部氏がいうように、一部の“進歩的”な人びとにとっては、一夫一婦制という制度は男性が女性を独占的に所有するという醜悪な所有欲に発する忌むべき形態であり、それに対してグループセックスはそれを超越した理想の形態であるということになる。しかし、それは観念的な頭だけで考えたものであり、男女関係は肉体だけにかかわるものではないとか、本来、性とは生殖をともなう行為であるという常識を忘れたいびつなものである、というのが渡部氏が本論でいいたいことである。それは人が心をもち、身体をもつということを忘れた人間の本性にさからうものであるので、その虚構が崩れるならば、嫉妬心というような本性の前にはあっけなく壊れてしまう。
 保守の人、渡部氏であるから、「パートナーに対する独占欲がないからグループ・セックスが高級」が間違いであるのと同じに、「個人の所有欲を否定しているから社会主義は高級」というのもまた間違いということが本当にはいいたい。しかし、それは当面おいておく。
 とりあげてみたいのは、渡部氏が、グループ・セックスという発想は、進化論的発想の極北に夢見られるユートピアらしい、といっていることである。同時にグループ・セックスを支持する人たちは、太古の人間は自由であったというルソー的な原始状態へのヴィジョンの仮説ももっているらしいともいう。
 進化論的にグループ・セックスという形態が支持されないのは自明である。いくら1977年に書かれた論であるといっても不勉強なのであるが、どうも、渡部氏は進化論と進歩主義をほとんど同一視し、進歩史観を否定するためには進化論を否定しなくていけないと思っているのではないかという気がする。むしろここに描かれた女主人公アイリーンの嫉妬心をふくめた心理状態は現代の進化心理学によってきれいに説明できてしまうのではないかと思う。要すするに人間の本性といわれるようなものを、神があたえたものとしてではなく、狩猟採集時代の人間の生き残り上有益なものであったということで説明してしまおうというのが進化心理学なのであり、嫉妬心などというのは、もう待ってました、という話題なのである。
 渡部氏は、《人間は変わり得る》という説、ピンカーなら「空白の石版」説というであろう発想を支持するものが進化論であると思っている気配が濃厚である。そうではなく人間の本性は変わらないのだということが、それへの渡部氏の反論となっている。ここでいう常識とはほとんど人間の本性と同義語である。そして、常識が保守思想をささえるのであり、実は常識を裏打ちするものは進化生物学であるとするならば、社会生物学は保守思想の土台となるのではないかというS・J・グールドらの危惧には、はやり相当の根拠があることになるのではないかと思う。
 進化心理学が発展しだしたのは1970年代からであるから、渡部氏が進化論について見当違いな議論をしているのもやむをえないのかもしれないが、今、渡部氏がこの本を書いた年齢であるならば、ばりばりと勉強をして、進化心理学を保守的主張の裏打ちとして使っているかもしれないという気もする。
 
 渡部氏はもちろん「 Him 」を原書で読んだのであろうが、わたくしはもちろん翻訳で読んだ。「彼」(二見書房1978年)である。渡部氏が論文の中で紹介している「彼女」(二見書房1978年)も読んだ。この匿名(Anonymous)氏は人称代名詞シリーズともいうべく、「I」だとか「You 」だとか何冊も書いている。「You 」は原書で読んだような記憶がある。わたくしの乏しい語学力で読んでも大した作家であると思った。
 これらの数冊を読んで感じたのはアメリカ知識人たちの途方もない孤独と寂しさということである。渡部氏は読み終わったら寒気がしてきた、と書いているが、まさにそんな感じである。日本に生まれてよかったなと思った。ポルノを書いてそういうことを感じさせるのであるから、やはり大した作家なのだろうと思う。でも翻訳も原著もアマゾンで調べてみたがすべて絶版のようである。