R・ヒューズ「ジャマイカの烈風」

   晶文社 1977年

 
 この小説はだいぶ前に買ってあったのだが、例によって読まずに抛ってあった。今度読んで見る気になったのは小野寺健氏が「イギリス的人生」で(あるいは「E・M・フォースターの姿勢」かもしれない)言及していたので、思い出したのだった。翻訳も小野寺氏である。最初に買ったのも誰かの推薦だったと思うが、忘れた。丸谷才一氏だったかもしれない。
 子供たちが海賊にさらわれて、海賊船で海賊たちと一緒に生活する話である、などと書いても、少しも内容を紹介したことにならないが、大人が類型として考えている(あるいは自分の経験としては忘れてしまっていて、あとからでっちあげた像である)子供ではない、本当の子供というものを描いた小説とでもいえばいいのだろうか?
 野暮なことを書けば、人間はネオテニーであり、生まれたときにはきわめて未熟であるので、ある程度まで中枢神経系が完成しないと記憶の保持はできないらしい。4〜5歳以前の記憶がないのはそのためのようである(だから三島由紀夫仮面の告白」の出生時の記憶などというのは嘘であるわけだし、幼少時の抑圧されて記憶から消されていたトラウマが想起されるなどということも、きわめてうたがわしい話ということになるのだが)。
 われわれは小さい子供はそとから見ているだけであり、その子供が何を考えているかはわからない。子供自身もまだ自分というものを持っていないので、本当をいえば何も考えていないのかもしれない。要するに子供においては、まだ自分と世界が分離していない。
 この小説の中では、世界と自分がわかれて、自分というものが出現してくる様が描かれる。(ちなみに以下の引用にでてくる子供は十歳少しである。)

 そのときとつぜん、自分はたしかに自分だということが、心にひらめいたのであった。(中略)
 彼女は、ややあざけるように、声をたてて笑いだした。「まあ!」彼女はこう思ったのだった。「えりにえって、このわたしが、こんなふうにつかまっちゃうなんて、あきれた!―もう逃げだせないのよ、長いあいだ逃れることができないのよ。子供から大人になって、年をとるまで、こんなひどい悪戯から逃げだすことができないんだわ!」(中略)
 世界中のどんな人間にでもなれたかも知れないのに、自分を特にこの人間、エミリーにするようにしたのは、どういう力なのだろう? 無限の時のなかで特定の年に生まれるようにし、このなかなか美しい、かわいい肉体のなかに自分を納めてくれた力は何なのだろう? 自分が自分をえらんだのだろうか、それとも神の仕業なのだろうか?

 自分という存在がある肉体のなかに閉じ込められるという、なんだか随分と西欧的な自我の目覚め描写であるが、こういう目覚めの一方で、今までの汎神論的なとでもいうのだろうか、世界の中に自分が浸透しているような部分も相変わらず保持している子供の不思議さが本書では描かれている。そして本書の本当のテーマは、その子供の世界が、大人の世界の法律的世界とでもいうのだろうか、虚構として作られた制度の世界とぶるかる事態である。子供は白紙の石版であるなどということではまったくなくて、子供の世界と大人の世界はまったく異世界であるということである。
 ただ、その子供の目覚めがおきるのがちょうど物語の真ん中あたりなので、それまでの前半部分は、物語が静的で、今ひとつ乗れなかった。後半は急に動的になるのだが。
 子供というものの不可思議を描いたものというと、すぐにゴールディングの「蠅の王」などが思い出されるが、「蠅の王」では、子供たちは文明を離れると、どんどんと崩壊していく。それに対して「ジャマイカの烈風」では、大人とは別の論理に生きる存在として、ある意味では大人たちを翻弄し、大人たちをあやつる存在として描かれている。
 「蠅の王」にしても「ジャマイカの烈風」にしても、子供が主人公であっても児童文学ということではないのであろうが、「ジャマイカの烈風」は「文学のおくりもの」というシリーズの一冊であり、どうもこのシリーズは子供を読者として意識している嫌疑がなしとしない。
 「書斎のポトフ」のなかには児童文学を論じた部分があって、最近、亡くなった灰谷健次郎氏の「兎の眼」や「太陽の子」をこてんぱんに叩いている。そこに紹介されている粗筋を見ただけでもとても読む気がしない代物のように思われるが、子供を描いた本であってもそれがまともな文学であれば、それを読むのは大人なのであろう。少なくとも大人も読めるものであろう。
 スティーヴン・キングでも、「呪われた町」や「IT」、「アトランティスのハート」などの子供たちは大変魅力的である。しかし、まず子供たちは読まないであろう。もっとも、キングの小説の子供たちは「ジャマイカの烈風」の子供たちよりも、ずっと大人が回想した子供という色彩が強いように思われるけれども。


ジャマイカの烈風 (1977年) (文学のおくりもの〈17〉)

ジャマイカの烈風 (1977年) (文学のおくりもの〈17〉)