清水幾太郎「倫理学ノート」 第12章〜第14章(ヴィトゲンシュタイン)

   岩波書店 1972年
 
 哲学音痴かつポパー信者できたため、ポパーのいうがままにヴィトゲンシュタインは敬して遠ざけてきた。それでも「論理哲学論考」(以下「論考」)は読んだ記憶があるが、何だかスピノザの「エチカ」を想起させるような書き方以外には、例の末尾の「語ることができないことについては、沈黙せねばならない」を覚えていただけである。あるいは「表明しえぬものが存在する。それは自らを示す。それは神秘的なものである」とか。
 6・63の「本来哲学の正しい方法は、語られうること、従って自然科学の命題、従って哲学とは何の関係もないこと、これ以外の何も語らない、というものである。そして他の人が形而上学的なことを語ろうとする時はいつも、彼が自分の命題の或る記号に何の意味も与えていないのを、彼に指摘してやる、というものである。この方法は彼には不満足であろう。彼は我々が哲学を教えているという感情を抱かないであろう。しかしこの方法が唯一厳密に正しい方法なのである」 このような思考法がウィーン学団論理実証主義の背骨となったとされているらしいが、異論もあるらしい。またこれが英米の哲学界を席捲した分析哲学の骨格にもなったのでもあるらしい。
 しかしヴィトゲンシュタイン自身は「論考」の世界を離れ、後期の別の哲学へと変貌したのだということもきいていた。それが「哲学探究」(以下「探求」)であるということで、それも購入はしてはいたが、読んでいなかった。後記のヴィトゲンシュタインのキー・ワードは「言語ゲーム」で、哲学には本当は問題はなにもなく、謎、すなわち言語のゲームがあるだけであるというのもきいていたが、読もうという気にならなかった。ポパーの「言葉とその意味についての問題を本気になってとりあげようなどと力んではならぬ」という論に説得されていたからである。
 エドモンズとエーディナウが書いた「ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」という本がある。世上名高いのかどうかは知らないが、ポパーの自伝「果てしなき探求」では大きくとりあげられている。これは1946年10月25日、ケンブリッジ大学でおこなわれたヴィトゲンシュタイン主宰の討論会にポパーが招待され、「哲学の諸問題はあるか」という問題について論じたという顛末である。ポパーが哲学であるとして提示する問題を、ヴットゲンシュタインは論理的なもの、数学的なものであるといって退ける。エドモンズらの本は、ポパーの自伝でのこの論争の経過をポパーが自分に都合よく脚色して提示しているのではないかという疑問を出している。そうなのかもしれないが、ポパーの本からの印象では、前期でも後期でも、真正の哲学の問題は存在しないとみる点ではヴィトゲンシュタインの主張は変わっていないのではないかという印象を持っていた。
 
 「倫理学ノート」の12章から14章までで清水氏はヴィトゲンシュタインをとりあげるのだが、前期から後期へのヴィトゲンシュタインの変化をきわめて根源的な変化としてとらえている。いわば天上から地上へとでもいった変化である。あるいは言語から世界へ。また、分析的な冷たさから人間的でパーソナルなもの生命的なもの情熱的なものへ。もっともそれはラッセルにとっては、世界の理解からセンテンスの理解への退行なのであったが。
 清水氏は前期から後期への変化は、言葉の意味自体から言語の使用法への変化であり、不変の意味から生きた文脈の中で言葉がどのように用いられるかへの転換であったのだとする。清水氏はゲームを文脈と読む。ヴィトゲンシュタインは小学校で子供を教えた経験から、象牙の塔をでて、大地へと降り立ったのだとする。ここで清水氏が強調するのがラムゼーによってもちこまれたプラグマティズムの影響である。清水氏はもともとプラグマティズムの信奉者であったから、この視点は氏にとって重大である。
 前期の「論考」はデカルトに始まる近代思想の極致としての硬質で透明な結晶体であった、と。それに対して後期の「探求」では、「私たちは氷の上へ入り込んでしまった。ここには、摩擦がなく、・・進むことが出来ない。私たちは進みたいと思う。それには摩擦が必要なのだ。ザラザラした大地へ戻ろう!」ということがいわれる。そのことにより近代思想そのものに反旗を翻したのだ、と。われわれが、大いなる自然のうちに生きる一種の生物であるとすれば、プラグマティズムはそう簡単に否定できる思想ではなく、後期のヴィトゲンシュタインの意味は大きいと、清水氏はいう。
 「ザラザラした大地」という言葉に清水氏は慰められたという。わたくしもとてもいい言葉だと思う。この言葉を知っただけでも「倫理学ノート」を読んでよかったと思う。しかし「探求」にあたってみると、この「ザラザラした大地」の部分がどのように位置するのかがよくわからない。考察の対象となっているのはここでもやはり言語であって、ただ言語をあまりに精密に考察していくことを否定し、もう少し大雑把ないきかたのほうが現実との接触が失われないでいられるということをいっているのであるように読める。清水氏の読み方はいささか強引であり、我が田に水を引こうとしすぎているのではないだろうか?
 「名高い10分間・・」に「ムーアのパラドックス」というのがでてくる。「倫理学ノート」の最初にでてきたムアである。「この部屋に暖炉があるが、わたしはあるとは思わない」というものなのだそうで、これは「スミスは部屋を去った。しかし、スミスは部屋に残っている」が明白な論理的矛盾であるのに対して、論理的には矛盾していないが、それでも受けいれがたい。このパラドックスヴィトゲンシュタインは興奮したのだそうである。こういうのがわからない。まったくどうでもいいことに理屈をこねているだけとしか思えない。フォースターの「果てしなき旅」の第一部「ケンブリッジ」の開始は、牛がいるかいないかの議論からはじまる。「ものは誰かに見られることによって初めて存在するのか、それとも、ものそれ自体が固有の存在性を有しているのか」である。変な書き出しだと思っていたのだが、ちゃんとこういった背景があったわけである。
 クレタ人のパラドックスというのもわからない。「すべてのクレタ人は嘘つきであるとあるクレタ人がいった」というやつである。このどこがパラドックスになるのかがわからない。嘘つきというのはつねに嘘をつくのではなく、時に嘘をいうから嘘つきなのである。いつも嘘をいっているのなら、クレタ人のいっていることの逆は真なのであり、クレタ人はつねに真を伝えるのであるから嘘つきではない。あるクレタ人がその時には本当のことをいっていたということでなにがいけないのかがさっぱりわからない。どうもわたくしは根源的な論理学音痴であるらしい。論理学は氷の上をすべって少しも進んでいかないものであるようにわたくしには思える。
 大修館書店の「ウットゲンシュタイン全集1」の別冊附録に黒崎宏氏の「ウットゲンシュタインの生涯」という20ページ弱の記事があり、それにスラッファという経済学者が一方の手の指先で自分のあごの下を外の方に向けてさっとなぜて、ウットゲンシュタインに「これの論理的形式は何かね」とたずねたという記載がある。この仕草はナポリ人がする反感とか軽蔑を意味する動作なのだそうであるが、これにウットゲンシュタインは衝撃を受け、命題はそれが記述するものの写像でなくてはいけないとする「論考」以来の理論を捨てることになったのだそうである。こういうのも本当にわからないところで、ウィトゲンシュタインはボディランゲージというようなことを知らなかったのであろうか? あるいは「いやよいやよも好きのうち」とか。いわれたことをそのまま受けとる人だったのであろうか? 今でいうアスペルガー症候群だったのかもしれない。このスラッファのエピソードは中井久夫氏らの「天才の精神病理」にもでてくる。この本ではウットゲンシュタインは分裂病質(現在ではもう使われない言葉なのだろうか? 統合失調症気質?)の人とされている。
 「天才の精神病理」のヴィトゲンシュタインの項は中井氏が書いているようであるが、清水氏の本による像よりもわたくしにはずっと説得的と思われる。それによれば、ヴィトゲンシュタインにとって、生の意味、世界の意味は全く世界の外にあるのであり、われわれは世界の出来事を意志によって曲げることのできない、完全に無力な存在である。だが世界を左右したいという願望を完全に断念することができるなら、世界から自分を独立さることで、ある意味で世界を支配できる。論理学での真理とはすべてトートロジーであり、現実については何も教えず、逆に現実によって反駁されることもない。それは現実に汚染されない自律性、自己完結性をもつ。
 中井氏はヴィトゲンシュタインの第一世界大戦への従軍経験を重視する。前線で激戦を勇敢に闘うのだが、そこで現実優位への転回がおこなわれたとする。「論理は世界の映像なのであるから、論理を研究すれば世界がわかる」というのが前期の思想の根幹であるが、この戦闘の経験によって、世界を重視するか論理を重視するかが交代した、と。前線では世界が、銃後では論理が全面にでる、と。語りえないものはラッセルにおいては「階型の理論」で解消される。言語には限界があるが、それはその言語のメタ言語を用いることで解消できる。しかし、その方向をヴィトゲンシュタインは嫌った。1916年の激戦の中で、彼は転回する。「世界の意味は世界を超越し、世界は私の意志を超越している。」 中井氏によれば、これは宗教的回心体験に通じるものであると同時に、分裂病発症の危機でもある。自分は世界の中の一人、ワン・ノブ・ゼムであるという意識と自分があってはじめて世界があるという意識がうまく統合されていることが、余裕と能動感のためには必要である。前者ばかりとなることは危機である。だが、その危機をヴィトゲンシュタインはなんとか乗りこえた。
 危機以前の「論理や言語と鏡像関係にある世界」は、「意志主体である自我との関係における世界」へと変わった。認識主体としての自我から、意志主体としての自我へとかわった。この時期、ヴィトゲンシュタインはきわめて宗教的である。ヴィトゲンシュタインによれば「論考」は倫理の書であり、書かれた部分と書かれていない部分からなる。後者のほうが重要なのであるが、それは語りえないものなので、語りうるものの陰画として示すほかはない。戦闘以前にはヴィトゲンシュタインにとっても前者が重要であったが、戦闘を経験したあとは、後者のほうが重要となったのだ、と。そのために「論考」は二重の意味をもつことになり、さまざまな解釈をゆるすことになる。
 「論考」においては、語られうるものとは、自然科学の諸事実だけである。そのことが理解されれば哲学は不要になるはずである。だが、哲学を止揚することにより、哲学の問題を最終的に解決したと信じるなどというのは、躁うつ病圏の人間には途方もないことと思われるに違いない。しかし分裂病圏の人々には、学問は世界の最終解決の試みと等価物なのである。そう、中井氏はいう。
 ここを読んでいろいろなことを考えた。わたくしは躁うつ病圏の人間なのだろうか? 自然科学とは分裂病圏の人間のするものなのだろうか? 西欧文明とは分裂病圏の文明であり、東洋文明は躁うつ病圏の文明なのだろうか、といったことである。誰でもそうなのかもしれないが、わたくしも若いとき、自分のことを自分だけが大事で他人に共感することの乏しい冷たい人間であると思っていて、そういうのを分裂気質というのだと思っていた。そのころ勉強したうつ親和性気質(まじめで勤勉で小心)というのはまったく自分にはあてはまらないと思っていたが、ここでの中井氏の論にしたがえば、絶対に自分は分裂病圏の人間ではないと思われる。西欧の文化にはどこか野暮ったいという印象がつきまとうが、それが分裂病親和的な文明ということの現れなのだろうか? 自然科学が西欧で発達したのは、それが西欧文明のもつ分裂病親和的性格とマッチしたためなのだろうか?
 閑話休題ヴィトゲンシュタインウィーン学団の人たちに「大言壮語して笑いものにならないように気をつけたいものです。大言壮語とはうぬぼれ鏡に自分を照らしてみることです」と忠言したのだそうである。中井氏はヴィトゲンシュタイン分裂病を発症せずにすんだのは、自己批評する能力を失わなかったからであるとする。知性の惑溺に抗し、知性の偶像崇拝を終生拒否しうるほどにも強靭な知性の持ち主だったからこそ、それができたのだ、と。
 中井氏によれば、後期のヴィトゲンシュタインは“「世界をありのままに残しておき」言語のみを問題にした。彼は、“言語を規約に基づく一つのゲームとして考えた。哲学の問題は規約を無視して言語を使用することから起こるもので、彼の哲学はそういう迷妄から哲学者を治療する”ことを意図したのだという。彼の晩期の哲学は、全体として、異なった星からの訪問者が人間の言語と取り組んでいるという印象を与える、という。彼の生涯は“抽象衝動”に貫かれていたのだ、と。
 ヴィトゲンシュタインが精神に危機の時に、園丁や運搬夫といった端的な肉体労働を選んだことはよく知られているが、これは「作業療法」をみずからに課したのだと中井氏はいう。「ある時代の病は、人間が生き方を変えれば治り、哲学的問題は、考え方と生き方を変えれば治る。個人の発見した薬では治らない」とヴィトゲンシュタインはいっているのだそうである。
 中井氏の見方からみると、「ザラザラした大地」はどうなるのだろう? 異なった星からの来訪者には地球はザラザラとしているだろうか? 清水氏は論理から生命へということをいう。中井氏の描くヴィトゲンシュタインは孤独である。一人でいて、神と一人で対話している。ヴィトゲンシュタインはきわめて宗教的なひとだったのだろうと思う。一人でいることが苦にならないひとだったのだろうと思う。しばしば隠遁したノルウェーフィヨルドアイルランドの荒涼とした風景に耐えられる人であり、そこに安息を見だせるひとだった。清水氏はそういうひとではない、人の中にいないと生きられないひとである。氏のいうプラグマティズムというのはそういうことなのだろうと思う。人間のいない思想などに意味があるかと。清水氏は“血の気の多い”ひとなのだろう。一方、ヴィトゲンシュタインは貧血質である。「ザラザラした大地」には、だからひとがいなくてもかまわない。アイルランドの石ころだらけの荒涼とした岬に小屋を借りて、野鳥をてなずけながら一年もひとりで過ごすひとである。そこの光景はザラザラしているかもしれないが、人間がいない。清水氏の主張にはやはり無理があるように思える。
(「天才の精神病理」は1972年に刊行された本であるので、分裂症という病名が用いられている。引用でもそのままとした。)
 

倫理学ノート (講談社学術文庫)

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