猪飼周平「病院の世紀の理論」(4) 第4章「医療の社会化」運動の時代 第5章 開業医の経済的基盤と公共性

 20世紀にはいってようやく医療にも少しできることが増えてきて、そのことにより、民衆のあいだに医療への期待感と医療への欠乏感が生まれてきた。当時の医療は決して安価なものではなく、利用もしづらかった。そのため医療をどうやって広く社会に還元していくかという問題がでてきて、「医療の社会化」をめざす運動がさまざまな場ででてくることになった。これが連綿と続いて1960年の国民皆保険制度にまでつながっていく。
 一方、「医療の社会化」運動の過程で一つの歴史観が形成されてきた。それを猪飼氏は「医療の社会化」論と呼ぶ。当時の医療は圧倒的に開業医によって担われていたが、開業医は営利として医療をおこなっているのであり、そういう営利をめざす医療では仁術としての医療の側面が損なわれるというような視点である。一種の開業医批判であり、開業医による医療のネガティブな面が強調された。これに対し猪飼氏は開業医のはたしてきたポジティブな面をもっとみなければいけないと主張する。開業医を活用した医療システムによって戦後の日本の医療システムは世界で最も優れたシステムの一つと評価されるようになったのだから、と。開業医を否定的にみる史観は現実の日本の医療の歴史にそもそも合致しないと猪飼氏は主張している。
 歴史的な事実として、1970年以降には勤務医の数は開業医よりも多くなった。しかしそれにもかかわらず、開業医が医療のストック供給において優位をしめているという状態が現在でもある。
 「医療の社会化」論者たちは多くがその根底に資本主義を否定するという思想をもっていた。資本主義体制下での開業医は必然的に営利追求者とならざるをえない。それでは医療をひろく社会に還元していくことはできない、もっと公共的な形で医療は供給されなくてはならない、そう彼らは主張した。
 しかし、彼らの主張は事実によって否定されていると猪飼氏はいう。なぜなら、その論者がいうことが正しいのであれば、日本の医療はどんどんと荒廃してこなければならないはずであるのに、事実としてそうなっていないではないか、と。
 「医療の社会化」論者は、開業医は「営利的」存在なので反公共的である。だからこれを公的供給システムに代替していかなければならないと主張してきた。
 「医療の社会化」論には長い歴史があるが、1960年代には川上武らによって主張された。これらの論が国民皆保険制度などを推し進める一つの力になったことを猪飼氏はみとめるが、それにもかかわらず、それは誤った「開業医制度」概念をわれわれの間に浸透させるという負の遺産も残したという。
 無医村の増大は医者が営利をもとめて都市に集中した結果であるというような主張がかつてされたが、事実としては町村合併などによる見かけの上での変化によるものが大きく、また勤務医という存在が都市でしか成立しないという、営利の志向ではない要素も大きいということを猪飼氏は主張する。
 20世紀前半とは異なり、現在では医療はその有効性の増大ゆえに必須の社会インフラとなってきており、医療が保障されないことは人権の侵害であると考えられるようになってきている。医療への要求はますます大きくなってきている。一方、それを効率的に達成する困難もまた増大してきている。病院のない地域を医者は敬遠する傾向が強くなってきている。とすればこれは医療の営利性の問題ではなく、医者の志向性の問題である。
 (以上、第4章)
 
 2000年時点のおける、開業医(医療法人と個人)の比率は、施設ベースで71%、病床に占める割合は54%。これは戦後においても旺盛な開業医による病床供給が続いていることを示している。これは所有原理型の(これは猪飼氏の本書の中心をなす概念で、病床供給が医師自身によっておこなわれる)医療システムの特徴である。
 アメリカにおいても20世紀初頭には医師自身による自営病院が多くみられた。しかしこれらは慈善病院やコミュニティホスピタルのような非営利病院に対抗できずに衰退した。そのためアメリカの医師は自ら病院を経営するのではなく、病院のユーザーとなり方向を選んだ。
 日本において公立病院は規模が大きく、都市を中心に立地した。すなわち地域の中核病院として生き残る戦略をとった。これらはまた独立採算を要求された。赤字になるとたちまち廃止論議がおこり、開業医に売却されたり日赤に寄付されたりした。
 一方、私立の開業医立病院は規模が小さく(平均30床以下)、地理的にまんべんなく分布した。
 従来の「医療の社会化」論においては、公的な医療提供が公共的な医療であり、私的な医療提供は営利的であって非公共的であるとされてきた。つまり一種の社会主義的な方向が目指された。しかし1980年代以降は、逆に日本の医療は社会主義的すぎるという批判もでてきた。
 さて、よい医療サービスを提供する医療システムがよい医療システムであるとしよう。医療保険が一般化する以前には、まず医療を利用できることが第一の目標となった。身近に購買可能な医療機関が存在することである。これが充たされてはじめて、質の高い医療が目指されることになる。まず、医療の量を提供することを圧倒的に主導したのは「私立病院」であった。その当時においては公的病院も独立採算を要求されたから、購買可能性については(すなわち医療にかかる費用については)公的な病院も私立病院もあまり差がなかった。私的病院は軽装備の病院であり、公的病院は重装備である。両者は機能的な分業関係にあった。
 病院開業が経営的な利点があるのでなければ、このような私的病院による多くの病床提供は成立しない。20世紀初頭、医療費の負担は中流の家庭においても大きかった。しばしば負債の原因となった。このことは医療が負債を抱えてでも受けるべきサービスであると考えられるようになっていたということでもある。
 なぜ日本の開業医が簡単に病院を開設できたのか? 軽装備ということがその鍵であると猪飼氏はしている。医師がプライマリケア以上の医療をおこなおうとするならば、自身で病床を持つという方法以外には当時ほとんど方法がなかった。これが日本は所有原理を選択した必然を説明する。
 「医療の社会化」論からすれば、まず医療にアクセスできることが目標となり、それは外来サービスの提供が目標となる。病床や入院はサービスの次の目標とされた。「医療の社会化」論は、本来、医療は公有されるべきであり、イギリス的な国営医療のようなものを目標とすることを前提としてきている。そうであれば、所有原理を選択した時点で、これは失敗への道を選んでしまったことになる。しかし、最近では、サービスの公有はサービスの効率と公平のうえからは最上の方法ではないとも考えられるようになってきている。とすれば、結果として日本は公的なものと私的なものをうまく組み合わせて、それなりのパフォーマンスをもつ医療体制を実現できてきているとすることができるのかもしれない。
 (以上第5章)
 
 このような論をたどってくると、あらためて感じるのが、日本のある時期における社会主義という思想のもった後光というか威力である。そしてまた感じるのが現在の厚生労働省が目指す医療の方向というのも、まさにここでいわれる「医療の社会化」論のなかにそっくりおさまるのではないかということである。
 わたくしも小学校の高学年から中学生くらいまでは、なんとなく世界は社会主義の方向にむかっているように思っていた。ソ連の体制のほうがアメリカのものよりも効率がいいように思えたのである。ミサイルも人工衛星ソ連が先んじたし、それよりも何よりも戦争というものは資本主義(帝国主義)があるからこそおきるのだとされていた(だから朝鮮戦争というのも南からしかけたのだと、進歩的文化人とよばれてひとたちは本気で信じていたのだと思う)。それでもわたくしの中学から高校にかけてというのはいまから思うとちょうど高度成長期であったわけである。戦前の貧困と戦争の時代において社会主義思想のもっていた威力というのは、ソヴィエト崩壊後の世界しか知らない今の若いかたには想像もできないのではないかと思う。そして日本社会党とか日本共産党とかは高度成長期においてもまだ未来の社会主義化というのを信じていたのはないかと思う(少なくとも美濃部都政のあたりまでは)。そしてアメリカの「ベスト&ブライテスト」でさえも「ドミノ理論」などといっていたのであるから、本気で世界の共産化を恐れていたのではないかと思う。
 資本主義=私利私欲の肯定などといってはあんまりであるが、私利私欲の上にたつ制度は碌なものにならないと、多くのひとが本気で真剣に思ったわけである。医療のような公共的なものが私利私欲のもとで運営されるなどということはありえないと考えるひとが多かったのも当然である。
 本書を読んで認識をあらためたが、個人立の病院などというのがたくさんあるのは日本だけなのではないかと思っていた。欧米ではキリスト教などを背景にした慈善団体などが基になって病院ができてきたように思っていたので、そういう公的な思想を背景にもたない個人立の病院などという不思議なものがあるのが日本の医療の特徴であると思っていた。
 今の厚生労働省の政策というのは、そのような小規模な個人立の軽装備の病院をつぶしていくというのを第一の目標にしているようにみえる。おそらくそれがいわゆる“社会的入院”の温床になっていて、医療を要さないひとを入院させて日本の医療費を無駄づかいしている、そういう医療よりも営利を第一に考える開業医立の病院をつぶして、とにかくも何らかの公的な背景をもったまともな病院のみが生き残ることができたときにはじめて日本の医療についてまともなことを考えることができるというような方向であるように見える。開業医立の小病院はもともと真面目に医療をやることなど考えていないのだから、そういうところは医療の世界からは撤退してもらって、介護とか医療の場ではないところにいってもらいたい。営利としてやるのであれば養老院でも経営すればいいではないですか、といったところが本音なのではないかと思う。それで開業医の団体である医師会を目の敵にする。
 しかし、猪飼氏は日本において医者自身がベッドの多くを供給するという体制をこわそうとするこころみはすべて失敗してきたという。それが次の第6章以下で展開される。
 

病院の世紀の理論

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