猪飼周平「病院の世紀の理論」(5) 第6章「病院の世紀の終焉」

 
 1982年の老人保健法制定を嚆矢とする医療改革の流れは年々ふくらんでゆく医療費の抑制というという視点からもっぱら論じられてきた。しかし、そこで見落とされていたことがある。それはそれ以前に厚生労働省が誘導しようとして挫折してきた様々な施策がこれらの改革の中では実現の方向が見えてきているということである。1)専門医制度の普及、2)臨床の機能分化、3)開業医中心の診療報酬体系の是正、4)准看問題の解決、5)かかりつけ医の育成などである。その原因として日本医師会の政治力の陰りを挙げるものがあるが、猪飼氏によればそうではなく、現在おきている変動自体が医師会の弱体化をもたらしているのだとする。著者はそれを「病院の世紀」の終焉という観点から説明していく。
 とりあえず、これらの点についてのわたくしの見解を書いておくと、1)専門医制度については、専門医という資格がほとんど医者の差別化には寄与していないのではないかと考えている(猪飼氏は差別化に寄与しないからこそ、それが普及できたとする)。日本では医師免許証をもっていれば、何科の医師を標榜することも可能なのだから、そのような点を少しでも是正したいということが専門医の制度なのかもしれないが(自分が勝手に○科となのっているのではなく、○科学会から自分は認定されているとする)、内科専門医と消化器病専門医の制度が並立しているのであるから(だが内科という標榜はあっても、消化器病科という標榜はない)、専門性というのが何を基準にしているのかさえよくわからない(わたくしは内科であるが、眼科の処方も産婦人科の処方もしてかまわない)。2)臨床の機能分化は確実に進行している。その動因は医療技術の進歩と専門分化の進行であるとわたくしは思っていた(高度で専門的な医療をおこなおうとすればある分野に特化せざるをえない)。3)開業医中心の診療報酬体系の是正については、病院崩壊といわれる事態の進行がもたらしたものではないかと考えていた(病院にある程度手当をしないと、病院から医者自体がいなくなる)。4)准看問題は診療所で必要とされる看護のレベルと病院で要求される看護のレベルが大きく異なっているということから生じているのではないかと思っていた(もしもその看護師が一生、診療所で働くのであれば、先端的な知識はほとんど必要とされない。つまり看護の世界においては、イギリス的な専門医と一般医に相当する身分的な区別が、大部分の准看を養成している医師会の側からは肯定されていた)。5)かかりつけ医については現在まだほとんど機能していないのではないかと思っている(これこそが診療所の担当すべき分野であるのだが、病院の外来部門は肥大しており、多くの患者さんが病院に通院している。しかし病院はほとんど往診機能をもたない。フリーアクセスの弱点がここにでてきている)。
 それでは猪飼氏の見解をみていく。猪飼氏はプライマリケアセカンダリケアをわけることは医療資源の効率的配分にとっては有用であったとする。しかし、その前提は治療の有効性ということが社会から認知されていることである。もしも、治療への社会の信頼や評価が低下してくれば、その前提が崩れてくる。
 日本の医療は所有原理(医者が病床の所有者となる制度)によって特徴づけられてきたというのが猪飼氏の本書での主張の根底をなす認識である。フリーアクセスとそれの裏腹の関係にある3時間待ち3分診療、病院と診療所の競合、病院の外来部門の肥大、病院による医師の直接雇用、私立病院の病床ストックに占める比率の高さ、病床の分散的配置、高額医療機器の分散的配置とその保有台数の大きさ、開業医の専門性の高さ、かかりつけ医の未整備、看護職の正看准看構造、医局制度における平等主義的人事などの日本の医療の特徴といわれるものは、ほとんどが所有原理から説明できるし、戦後行われた様々な米英をモデルにした「近代的」な医療制度を取り入れることをめざした運動は、所有原理に抵触する場合にはすべて失敗に終わってきた。
 厚生労働省は戦後すぐからイギリス的な身分原理型の専門医制度を推進しようとして失敗した(それは所有原理による日本の医療体制の根幹をゆるがすものだから)。1960年代に医師会がこころみたアメリカ的なオープン病院もほとんどが失敗した(これまた所有原理に反するものだったから)。家庭医も定着しなかった(家庭医はイギリス的な医療原理のもとでないと定着しない。フリーアクセスとも両立しない)。准看制度も看護協会の反対にもかかわらず存続してきた(それは分散的な病床分布に適合的であったから。それは「安上がりな病院」モデルにふさわしいものであった)。現在の専門医制度はそれが身分原理と通じないことによりようやく普及してきた。
 しかし以上のべたことは「病院の世紀」という前提ゆえにそうなってきたのであり、もしも「病院の世紀」が終焉しつつあるのであれば、これからの日本の医療は今までとはまったく別のグランドデザインを必要とするようになる、そう猪飼氏は主張する。
 社会の治療への期待が低下し、治療よりも優れた医療システムがあることが社会に認知されてくるならば、20世紀という「病院の世紀」は終焉すると猪飼氏はいう。その根拠として猪飼氏が挙げるのが、日本において、健康・疾病のパターンが変化しながらも人びとが長寿化してきていること、傷害者の生活改善に対する社会的な権利が承認されるようになってきているということなどである。
 簡単にいえば、人びとは簡単には死ななくなり、生活習慣病や疾病や老化にともなう障害を抱えながらも長生きするのが一般的になってきた。そのような状態ついての治療医学の有効性は限定的である。20世紀前半の感染症中心の医療の時代には、治療医学は決定的な力をもっていたのだが。障害に対しても治療医学の効果は大きくない。
 とはいっても、これだけが「病院の世紀」の終焉を説明できるわけではない。治療とは別の手段が提供されることと一体になったとき、はじめて「病院の世紀」の終焉がみえてくる。その別の手段とは「傷害者パラダイムの発展」であると著者はする。医学モデルではない生活モデルである。そこでは治療は生活の質(QOL)を推進するためのさまざまある手段のなかのたかだか一つに過ぎなくなる。
 もしも最終的な目標がQOLの増進であるということが社会に広く認知されるようになれば、それは自ずと病院の世紀の終焉をもたらす。そこでは、まず「健康」概念が転換するようになる。それは医学という一種の科学的知識体系からだけでは導きだせないものとなる。「病院の世紀」においては予防医学は辺縁的なものであった。したがって公衆衛生部門は医師の多くから敬遠され、多くは非医師によって担われてきた。
 今後、医療は「包括ケアシステム」の中の一部門に過ぎなくなるであろうと猪飼氏は主張する。健康のための活動は病院中心ではなく、生活の場を中心としたものとなる。在宅ケアへの志向が進む。ケアは病院中心のものから地域的性格を強くしていく。「包括ケアシステム」においては、その担い手が医師を頂点とする専門家の階層システムから多様な職種と地域住民のネットワークへと移行していく。
 しかし治療医学は依然として進歩を続けている。そのようなものを担当する病院である「急性期病院」が医療行為の中心となる。この動向は先進国では1960年ごろから進んできた。そうなれば障害者の多くは病院の外へと追いやられてしまうから、その受け皿としての保健・医療・介護制度がなければ、病院の急性期病院化は絵に描いた餅となってしまう。
 この動きのなかで、在宅への志向は病院からも他のケアシステムからもともに目指される共通の目標となってくる。問題は病院と在宅との中間施設である。米国でのナーシングホームや日本の老人病院で多くの問題が起きたのは、中間施設の重要性への顧慮が不足していたことによる。
 医者のおこなっていることは秘儀的ではあるが有用であると患者側からはみられてきた。医者のおこなう行為への信頼ということがそこでは前提されていた。「病院の世紀」は医師の権威と密接に結びついていた。とすれば「病院の世紀」の終焉はまた医師の権威の終焉でもあることになる。猪飼氏によれば「病院の世紀」の終焉とは関係なく、医師の患者への権威は低下してきている。インフォームドコンセントセカンドオピニオンはみな医者の権威を低下させる方向にはたらく。これらはみなコンシューマリズムを背景にしている。
 そうではあるが「包括ケアステム」が当然であるとされるようになれば、医者はシステムの中のワンノブゼムとなる。すでに訪問看護の世界では看護師が主役であり医者の役割は限定的となっている。また「包括ケアシステム」の中では医師には高度のコミュニケーション能力が要求されるようになるが、従来の医師の多くはそれを欠いている。猪飼氏は「包括ケアシステム」は現在の消費者主権的な思考により大きく毀損されている医者−患者関係を回復させられる可能性を秘めているのではないかと考えている。家庭医と自宅療養する患者の間では長期の人間関係が成立する時間があるから、と。
 まとめれば、20世紀の医療は治療に強く偏した医療であったということである。治療が何よりも優先されるということであれば、医療の中心が医師であり、病院であることはまた当然であった。しかし、これは極端なシステムなのであって、21世紀は、その極端な動きが修正され、さまざまな医療関係者とさまざまな医療資源が相互に影響し、相互に共存していく体制に移行していくであろうと著者はしている。
 
 医者は保守的であり、現在自分が働いている環境を自明で変えることが容易ではないものとみなす傾向を持つから以下の見解は割り引いてみてもらう必要があると思われるが、わたくしは「在宅へ」と今後の医療が移行していけるかという点にかんしてはきわめて懐疑的である。また「在宅」への移行がかりにおこなわれたとしても、それが明るい未来なのであるかということについても懐疑的である。それは現在急速に進行している少子高齢化の中では、在宅で介護をになえる主体がほとんど存在しないのではないかと考えるからである。
 90歳の高齢者を85歳の配偶者が介護する。あるいは70歳の子供が介護するということは現在ではごく普通のことであるが、このようなことはごく軽微な介護が必要とされるという状況でない限り、継続が困難である。
 現在、「在宅」への誘導の圧力はきわめて大きい。それは医療費の抑制という明確な目的からきている。それは入院医療というのがきわめてコストのかかるものであるからで、一日でも早く退院して自宅に帰るようにせよという政策的な圧力はきわめて大きい。事実、平均在院日数(患者さんが何日入院しているか)は短くなる一方である。従来の病院は「治療」と方向以外に「療養」という方向もあわせもっていた。「病気はよくなったけれども、もう少し体力がつくまで入院していたい」というような希望はしばしば患者さんの側からでていたし、病院もそれを多くの場合許容していた。しかしその入院費用の7割から9割は本人ではなく、保険制度や税金が負担している。昨今の日本の突出した赤字財政のなかで、もはやそのような甘いことは許されないと、財政当局が考えるのは当然である。それで患者さんは病気はとにかくもよくなったという時点で急性期病院から退院する。しかしもしもその患者さんが一人暮らしであれば、家に帰ったら自分で買い物にいけない。身の回りのことが十分にできない状態であるならば、明日から食べていけない。それを家族あるいは介護保険制度がカバーすることが期待されているであろうが、家族がいない(これから生涯独身のひとは増加する一方であろう)、あるいはいても働いていて援助できないというケースは非常に多い。どうしたらいいのだろうか?
 実際に、入院してもとの病気は快復したが、今後まだまだ濃厚な介護が必要であるというような場合には、家族からこれから在宅でみていくことは無理であるという意思表示がされることが多い。そこで中間施設をさがすことになるが、その数は決定的に少ない。
 そもそも行政当局は、急性期医療には多大な人的資源が必要とされるが、急性期を脱してケアの時期になれば、それほどの人的資源は必要としないという前提で政策を立案している。しかしケアの時期にはケアのためにまた多くの人的資源が必要とされるにもかかわらず、現在の制度ではそれが認められていない。従来の社会的入院といわれていたようなケースであれば多くの人的資源を要しないのだが、ケアが必要であればそうではない。
 それでどういうことがおきるかといえば、急性期病院から中間施設へ転院して一週間以内に患者さんが亡くなってしまうというというようなことが少なからずおきるということである(わたくしは元気で転院した患者さんがその日に亡くなったという報告を受けたこともある)。中間施設には人的資源が乏しい。頻回に痰を引くということによって生命を維持されていたひとが、そのようなことがおこなえない施設に移れば、それがすぐに生命にかかわるという事態が生じてくる。急性期病院ではスタッフを厚く配置することが可能である(といっても医師も看護師もアメリカの数分の一なのだが)。したがって急性期医療をおこないながらも当時に濃厚なケアが提供できる。多くの高齢者は急性期医療がおわっても相変わらず濃密のケアが必要である。したがって急性期医療がおわったために中間施設に移った途端にケアの密度が低下して生命の危機にすぐ直面してしまうことになる。それならば、眼の前にある疾患をかりに治すことができても、濃密なケアの持続的な提供がない限り生命を維持できないような患者に対して、そもそも急性期医療をおこなうことが妥当であるのかというということが問われてくるはずである。しかし猪飼氏のいうように病院は治療の場であるということが自明の前提となっている。治療できる病気がありながら治療しないという選択が病院においてなされる余地はほとんどない。
 猪飼氏の記述を読んでいていささか感じる物足りなさは、理論的性格の本であるので仕方がないのであろうとは思うのだが、治癒できる病気を治したが、しかしその後にケアの必要性が生じるという患者さんと、もともと根治を期待できない生活習慣病のような患者さんが議論の対象となっていて、最初から治療とケアの双方が必要とされているという現実に一番多い患者さんの像がみえてこないという点である(根治できない生活習慣病は、ほとんどが外来治療の対象であって、入院となることはほどんどない)。
 それと病院機能の変化のもう一つの大きな原因である「診断機器の進歩により多くの疾患の診断が外来で可能になってきたということ」「治療薬の進歩によりADLが確保されていれば、かなりの疾患が外来で加療が可能となってきたこと」ということもあまり検討の対象になっていないように思う。つまり現在入院となるケースの多くは、単に病気であるというだけではなく病気によって日常生活が困難であるひとがほとんどで、従来にくらべて著しく手のかかる濃密なケアを必要とする患者さんが増えてきているという現実である。急性期の病院であってもケアの比重もまたきわめて大きいということで、ある意味で著者のいう「包括ケアシステム」は急性期病院の中ですでにおこなわれているということでもある。猪飼氏のいうように治療の技術は相変わらず日進月歩である。以前ならば救命できなかったケースが延命されるようになってきている。しかしそれは濃厚なケアの継続を前提とした延命である。そのようなケースが「在宅」の方向へむかうとはとても思えない。
 おそらく厚生労働省のねらいは医者が所有する小規模病院の病床は「病院」ではなく「中間施設」へと転換していってほしいということにあるのだと思う。初期治療は急性期病院が担い、その後の中間施設として医師が所有する病床へと移動していくという体制なのであろうと思う。しかしその施設の所有者は医者であり治療へのマインドはあってもケアへのマインドを持たない。そもそも厚生労働省もそのような中間施設は医療スタッフを多く配備する必要のない軽装備で医療費もあまりかからない施設であるからこそ、それへの転換を誘導しているわけであり、本来そこに必要とされるであろうケアのための十分な看護スタッフは想定されていない(そもそも医師だけでなく、看護師の数も絶対的に不足している)。とすればこのような中間施設は十分に機能することは期待できない。
 勘ぐれば、厚生労働省も本音では、高齢者への濃密な医療提供は医療費の無駄に近いので控えてほしいと思っているのかもしれない。高齢者にははじめから医療ではなくケアを提供すればよくて、そのケアもそれほど濃密なものではなく、ある程度のケアで生命を維持できなければ仕方がないとしたいと思っているのかもしれない。
 「楢山節考」では共同体が貧しく高齢者までも養育することはできないという社会でのできごとを描いていた。高度成長期には維持可能であった社会保障制度は現在のような低成長あるいは成長がとまり停滞期にはいった社会においては本来維持が不可能であるのかもしれない。限られた資源をどのように配分していくのかという議論にこれからいやでも直面しなくてはいけなくなっていくのだと思う。しかし、ともかくも治療の技術は進歩しつづけ「治癒」ではないにしても「延命」の手段は確実に多くなってきている。そしてそのことはますます医療につぎ込まれていく費用を増大させていく。
 「包括ケアシステム」というようなことではなかなか乗り切れない事態がこれから次々と目の前につきつけられてくるのだと思う。そのような今までにない事態が現前ししくることが「病院の世紀」を終焉させていくのかもしれないが、「病院の世紀」の後にくるものがそれほど明るい展望を持つものであるとは、わたくしにはなかなか思うことができない。
 

病院の世紀の理論

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