國分功一郎「暇と退屈の倫理学」

 
 最初は非常に面白いと思って読んでいたのだが、そのうちに何か今一つという気がしはじめた。本書の後のほうで使用されている言葉を用いるならば、だんだんと「本来的なものを想定」しているように読めてきてしまった。ここでは、たとえばアレントが本来的なものに囚われているとして批判されているが、彼女の「人間の条件」を読んでわれわれが(少なくともわたくしが)驚くのは「労働」ということが一切神聖視されていないということである。國分氏は、「労働」と「仕事」の区別をわれわれがしなくなっていることをアレントが指摘していることに読者の注意を促しているが、しかしアレントがひたすら熱意をもって論じているのが「活動」であり、これを國分氏は「政治」としているが、それは確かにそうではあっても、これはギリシャのポリス社会での政治、すなわち言論活動がそのまま政治となるような特殊な場での政治であり、そのようなギリシャのポリス国家というきわめて特異な国家、今日の国家とは似ても似つかない、人口は少なく「労働」は奴隷に支えられているという特殊な都市国家でのみ可能であった政治形態なのである。それを異様な熱意をもって語り、それこそが人間本来の活動であるとするアレントの姿勢はアナクロニズムとしかいいようがない。しかし、それでもなおかつわれわれが「人間の条件」という本を読みかつそれに惹きつけられるのは、アレントがそのギリシャポリス国家をほんの昨日のものであるかのようにありありと感じており、そこでのギリシャ人たちが生き生きしていることに較べたら、現代の人間は死んだようにみえることを、文字通り全身で感じているからなのである。そうでなければそれは単なる理屈、頭で考えただけのことになってしまう。ハイデガーは哲学はギリシャ語とドイツ語でしかできないなどととんでもないことをいうが、それはハイデガーギリシャの哲学者をほんの昨日いたひとのようにありありと感じることができたひとであったからこそ、単なる戯言とはいえなくなる。
 だから上述の本書の後半で「本来的なものが想定」されてきてしまっているというのは、必ずしも批判としていっているのではなく、後半部分ででてくる本来的なものが頭で考えた単なる理屈ではないかと思えてきてしまうところがあるということである。
 まだ氏のなかで生煮えでいて成熟しきっていないものが、相互の関連が充分に整理されないまま、ごつごつと並べられているような印象がある。
 
 具体的にみていきたい。
 序章「「好きなこと」とは何か?」
 まず、バートランド・ラッセルの『幸福論』(1930年)から、ラッセルがその当時の西欧の若者を不幸であると論じている部分をとりあげる。ラッセルによれば、20世紀初頭のヨーロッパでは、すでに多くのことが成し遂げられていた。そうであれば若者たちが苦労して作り上げなければならない新世界はこれからはもはや存在しない。かれらにはもうあまりやることがないことになる。だから不幸である。
 しかし、それはおかしいと國分氏はいう。ある社会がよくなったのであれば、それを喜ぶべきではないか? よくなったら不幸になるのであれば、社会をよりよくしようと努めることなど無意味ではないか? 「打ち込むべき仕事を外から与えられない人間は不幸である」とするなら、もはや事態はどうにもできないことになる。なにかがおかしい。人間は豊かさを目指してきた。なのに、なぜその豊かさを喜べないのか? それをこれから考えていこう、そう氏はいう。
 次がガルブレイスの「ゆたかな社会」。現代人は自分で何がしたいかを自分で意識することができなくなっている。広告やセールスマンの言葉によってはじめて自分が何をしたいかがわかってくる、ということがそこでいわれている。
 さらにホルクマイスターとアドルノの「啓蒙の弁証法」。それはカントが想定した人間の主体性はいまや当然のものとはいえなくなっていると主張する。産業が主体はどう感じどう受け取るべきかを決めてしまっているのだから、と。
 次がウイリアム・モリス。彼は社会主義者であったが、革命がおきたらどうしようと考えた。もしも人間が痛ましい労働から解放されてしまったら! 日々の労働以外の何に向かえばいいのか? 彼の答えは「革命でえられた自由と暇を飾るものをつくらなければならない」というものであった。生きることはバラで飾らねばならない。
 さらにジュパンチッチ。近代はあらゆる価値を相対化していったため、ついには「生命ほど尊いものはない」というただひとつの原理しかそこに残せないことになった。しかしその原理はひとをふるい立たせるもの、人を突き動かすものがない。そのため、国家や民族といった「伝統的」な価値への回帰が魅力をもつようになってしまった。そういうものに突き動かされている人間をうらやまくし思い、大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たちを恐ろしいがうらやましいと思うひとがでてきた。ジュパンチッチの本は2000年にでているのだが、2001年のテロの後ではこのままでは出版できなかったのではないかと國分氏はいう。
 國分氏は、大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だけだという。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。
 「生きているという感覚」がわからなくなり、「生きていることの意味」が見いだせなくなり、「何をしてもいいが何もすることがないという欠落感」を感じるようになると、人は何かに「打ち込む」こと、何かに「没頭する」ことを渇望するようになる。大義のために死ぬとは、この羨望の先にある極限の形態である、と氏はいう。
 
 ここでは二つのことが分裂しているように感じる。ラッセルのいっていることは、「仕事」に意味を見いだせない、意味のある「仕事」がないということである。ジュパンチッチの議論もどちらかといえば、その延長である。それに対して、ガルブレイスアドルノら、さらにはモリスらの議論は「余暇」の話である。モリスの「生きることをバラで飾ろう」運動は、革命実現のための運動にくらべてひとを鼓舞しない冴えないものにみえる。
 労働とは苦役なのか? また、そこにこそ生きることの意味をみいだせる場所なのか? 國分氏はこれから見ていくように、労働は苦役であり、余暇こそが人の生に意味をあたえるものであるとしているようにであるが、そこまではっきりと断言するわけでもない。それでここでの議論が分裂しているように感じられてしまう。
 仕事と余暇という二項対立だけではなく、日常と非日常、ハレとケといった別種の二項対立もまた立てられるはずである。革命のための運動はハレの作業である。しかし、生きることをバラで飾ろうとするのはあくまでケの中でのものである。そもそも今日が昨日の繰り返しである生は生きるに値しないものなのか?
 本書のここから後は、「仕事」のほうはあまり議論されることがなく、「余暇」のほうに議論が収斂されていってしまう。しかもハレとしてのあるいは祭のような「余暇」ではなく、「ケ」としての日常としての「余暇」である。
 そしてそこに話を限定するとしても、「仕事」と「余暇」を別々に議論することが可能だろうか? 仕事が楽しくて仕方がないひとの「余暇」と、仕事が苦痛で仕方がないひとの「余暇」はまったく違ってものになるのではないだろうか? 仕事が楽しくて仕方がないなどというのは異常であって、仕事は苦役であると感じることが正しいのだろうか?
 医療の場にいるわたくしからすると、ここでの議論でとても気になるのが、ジュパンチッチのいう『近代はあらゆる価値を相対化しった結果、「生命ほど尊いものはない」というただひとつの原理しかそこに残せなくなった』という論である。
 山崎正和氏は「世界文明史の試み」で『現代の共通感覚を培っている「健康」信仰』ということをいっている。『健康はたんに個人の願望ではなく、一種のイデオロギーとして文明を支配し始めた』ともいう。そうであるならば医療は近代における最高の価値実現行為であることになる。しかし「生命ほど尊いものはない」のであれば、生命がとにかく持続することを否定するものは何もなくなってしまう。どのような生命であるかは問われず、短い命ようりも長い命のほうがいいことが、原理から必然的に導き出されてしまう。
 しかしその原理はジュバンチッチのいうように「ひとをふるい立たせるもの、人を突き動かすものがない」。だから医療行為は一向に心おどらない仕事になってしまう。一部の医療者が宗教に対していだく強い劣等感はこれに起因するのだと思う。医療は生命に意味を与えないのに対して、宗教は生命に意味をあたえるように見えるのである。
 川喜田会郎氏は「近代医学の史的基盤」の最後でいう。

 思うにしかし、人にとっての病気は、さきも一言触れたように、場合によっては、無条件に除かれなければならぬ災いではないとも考えられるし、さらに、人の命のまことに重いことは言うまでもないけれど、しばしば人が病をおしても没頭する事業なり天職なり―人々の目に立つ壮大な、あるいは人々の目から見えつ隠れつするところで他者に捧げられたつつましやかな―の意味を了解することができないだろうし、さらにはまた、さまざまの状況において、生命を冒して当為に、あるいは信仰に殉じる英雄的な人の行為は、むだな所業でしかないだろう。およそその辺に人のいのちの世界の真の消息の一班があるとわたくしには思われる。
 だが、医学と医術にとっては、その深い消息を胸に秘めながらも、ひとまずそこまでは立ち入らないで、病気の除去と生命の保全とにひたすら工夫を凝らすところに、その分を弁えた営為があるとすべきだろう。西洋近代医学の特質と達成とは、みずからの無力を弁えた苦渋のうちに病者に接しながらも、初手から構えて生命とか、またしいとか、あるいは天地の理とかいうような、およそそうした大ぶりの、ことに行為を欠いた場ではとにかく空疎になりがちな言葉をもちだすことを抑えて、病気を「冷たく」科学の世界にひとまず還元して刻苦を重ねてきたことろにあった、とわたくしは理解する。

 なんという歯切れの悪さと思う。医療は人の命の真の消息には立ち入れないのである。川喜田氏は英雄的な行為や殉教への憧れを隠せない。
 そう見てくると、本書でも宗教ということもとりあげられてもいいように思うのだが、もはや現代人は宗教を信じることはできないということで、とりあげられない。
 本書はわれわれの生活のなかから仕事の部分の除き、また超越的な部分も除くことで成立している。芸術の問題が論じられているので、超越的なものが議論されないとは言い切れないのではあるが・・。
 本書の第3章でフォーディズムの話がでてくる。自動車王フォードが、一日8時間労働をすすめ、余暇を承認したことである。人道的見地からそうしたわけではない。規則正しい作業を間違いなくこなすためには心身が万全でなければならないからそうしただけである。しかし日本では夜の10時11時まで働き、休日もしばしば出勤して、心身ともに不健全の極みであるサラリーマンはたくさんいる。そういうひとにとっては、暇や退屈などは自分には関係ない話ということになってしまう。
 バブルのころ、浅田彰氏の「逃走論」などが評判になっていたころは、食べることなどどうにでもなる。遊んでいても食べていけるというような気分が横溢していた。しかし、最近ではふたたび何とか食べていくことも簡単ではない、切実な問題となってきているのかもしれない。そうであるなら、この本はいささか反時代的なものであるのかもしれない。
 
 第一章の「暇と退屈の原理論」はパスカルの「パンセ」からはじまる。例の有名な「人間の不幸は、部屋でじっとしていられないために起こる」という部分である。
 ウサギ狩りの話。これからウサギ狩りにいこうという人に、ウサギならあげるよといってさしだしても喜ばれない。そのひとが目的にしているのはウサギではなく「気を紛らわしてくれる騒ぎ」なのだから。「不幸な状態から自分の思いをそらし、気を紛らわせてくれるもの」である。
 そうだとすると「仕事」こそが最大の「気を紛らわしてくれる騒ぎ」であるのかもしれない。そもそも「仕事」をしていれば「気を紛らわしてくれる騒ぎ」が必要とされることさえないのかもしれない。だが國分氏の議論はそこにはむかわない。「気を紛らわせてくれるもの」には「負の要素」や「苦の要素」がなければならないという方向に進む。そこからニーチェが導かれてくる。さらにレオ・シュトラウスに進む。第一次世界大戦で、西欧近代文明は根本的に誤っていたのではないかという疑問が生じてきた。そう思うひとたちは共産主義にも魅力を感じなかった。共産主義が描く未来は平和で何もおこらない世界のように思えたのである。そこには、心や魂を奮い立たす、使命感を燃やせるものはなにもない、何も事件がおこらない世界である。それは同じことが続く世界であり。明日もまた今日と同じ世界である。ということは、退屈の反対は興奮であって、決して快楽ではないということである。だから上述のラッセルが幸福をもたらすものと考えたのも熱意であった。しかし、それは不幸へのあこがれをもたらさないだろうか?、と氏はいう。
 スヴェンセンというひとが、ロマン主義が諸悪の根源であるといっている。前近代では共同体がやるべきことを決めてくれていた。その時代はまだ神が死んでおらず、宗教が人の生死に意味をあたえてくれていた。しかし、生の意味が共同体が提供するものから個人が自分でさがさなければいけなくなると、そこからロマン主義が生まれることになった。普遍性より個性、均質性より異質性ということになった。「他人と違っていたい」という気持ちはロマン主義に発している。「ありもしない生の意味や生の充実を求めて深い退屈に陥るのではなく、ロマン主義を捨てること!」それが退屈から免れる唯一の方法であるとスヴェンセンンはした。しかし、これは「いまの自分で満足しろ!」「高望みするな!」というだけになってしまうのではないか?と國分氏はいう。
 
 とりあえずここまで見てくると、國分氏は、神をもはや信じることができない人間、退屈を感じることが可能な程度には自分の時間をもてている人間をこの本での議論の対象としていることがわかる。共同体を信じることができず、個人が否応なしに、自分の生を自分で選ばなくてはいけない世界で生きているような人間を対象としている。
 スヴェンセンがいっている「ロマン主義の否定」とは「個人主義の否定」「共同体への回帰」にむかうのではないだろうか? 氏がいうのは、われわれは「個人」になることで不幸になったということなのではないだろうか? とも思えてくる。
 ロマン主義とは「神が死んで」ひとりひとりが自分の神にならねばならないということである。パスカルはわれわれがみじめな境遇から抜け出すための手段は「神への信仰」であるとした。ラッセルのいう熱意も何らかの公共への参加と繋がるのかもしれない。つまり、上記の論はいずれも「個人」であることをやめる方向と何らか繋がる可能性がある。
 しかし、國分氏はあくまで「個人」のままでいながらも「退屈」にならない方向を探そうとする。
 
 だが第二章では、急に石器時代の農耕の開始のほうに話がいってしまう。退屈を近代的に考えてしまうと、退屈の理由を社会にもとめてしまう。それでは人間性と退屈との関わりが見えなくなってしまう、と氏はする。そこから西田正規というひとのとなえる「定住革命」という仮説を紹介してくる。
 人類は一万年前に定住生活を始めたわけであるが、われわれは定住して生きているので、それが当然のことのように思っている。定住できるならわれわれは定住するのであり、定住以前の人類は、それをしたくてもできなかったから定住していなかったのだという見方をとる。それを逆に考えて、遊動をできなくなったから、やむをえず定住するようになったのがとする見方をここでは検討している。農業が可能になったから定住生活にはいったとするのではなく、定住を強いられたので農業をせざるをえなくなったのではないか?とみるのである。遊動していれば狩猟採集でも食糧には困らない。しかし定住して狩猟採集ではそうはいかなくなる。すぐに周囲の資源を使いつくしてしまう。それでも一万年前に定住がはじまったのは氷河期から後氷期にかけての気候変動が原因であると西田氏はしている。それまで寒冷であったため草原や疎林がひろがっていたが、温暖化によってそれが森林化してしまい視野が限られて狩猟に適さない土地になってしまった。それで農業が必要になってきたというのが西田氏の説である。定住すれば死者を捨てていくことができなくなる、それで墓地が必要になる。またコミュニティーから容易には出ていけなくなり、内部での不和や不満が蓄積していく。定住は貯蔵を前提とし、私有財産が生じてくる。経済格差が生まれ、権力関係が生じてくる。
 ここで提示されている農業の起源は現在の多数説ではなく、氷河期が終わって温暖化し、海面が上昇し、それまでの肥沃で豊かな土地が海面下に水没し、遊動生活では生きていけなくなって農業によって生きざるをえなくなってというのが多数説であると思うが、ここで國分氏がいいだすのが実に奇妙な説であって、人は定住化することによって退屈と直面するようになったというのである。遊動生活では移動のたびに新しい環境へ移るので退屈することなどない。しかし定住すればいつも見慣れた風景の中で生き続けなければならない。昨日につづく同じ今日。だから退屈に直面しなければならなくなる。だから縄文土器のような複雑な修飾もでてきた。実用から装飾へである。そこから文明も生じてくる。以上は國分氏の説ではなく西田氏の説のようなのだが、國分氏はいう「パスカルよ、人間が部屋のなかで静かに休んでいらないのは当然なのだよ!」と。ヒトはすぐれた探索能力をもち、それを何らかの行動で解消せざるをえないということである。
 さらに國分氏はいう。哲学には定住中心主義がある、と。その典型がハイデッガーであると。「人間であるとは住むこである」とハイデッガーはしている。國分氏はいう。このような人間観はたかだか最近一万年の人間にしか通用しないものであるかもしれないではないか? 自分もまた本書を定住を前提に書いているが、それに無前提的に依拠してはいけないのだ、と。
 ここらへんはよくわからないところで、わたくしのハイデガーのイメージは農夫というものであるから、その定住志向は当然であると思えるが、そもそも哲学はたかだか2〜3千年の歴史しかもたないものであり、最近一万年の人間にしか通用しないものであることなど当たり前であって、それ以前まで通用するヒトの像を求めるんら、それは進化心理学といった方向の仕事の範囲ではあっても、哲学のあつかうものではないだろうと思う。
 さらにと定住から退屈が生じたというのもわからないところで、遊動生活というのは一日中活動するのに十分な栄養をとることができないものなのだそうで、ライオンが大部分の時間寝そべっているのは、一日中活動できるようなカロリーを得ることができないためなのであるという。
 はごく常識的な見方としては、農業が開始されてから剰余が生じ、一部に働かなくてもいいひとが生じてくる。大部分のひとは退屈どころではなく一日中あくせくと労働しなくてはならないが、一部に働かなくてもいいひと、退屈できるひとがでてくる。それが都市を生み、文明を生んだというものではないかと思う。わたくしもそう思っている。文明は退屈の産物なのであるが、それでもわれわれの大部分が(少なくとも先進国の大部分が)飢えということをほとんど意識しないで生きていけるようになったのは、まだたかだか50年ほどのことなのではないかと思う。
 以前にも紹介したことがあるがタッジというひとの「農業は人類の原罪である」という本があって(id:jmiyaza:20031108)、そこで人間は農業を知ったことで、食糧の余剰⇒人口の増加⇒さらなる増産の必要というサイクルに追われ続けてきているということがいわれている。農業は頑張ったらその分必ず報われるというシステムであり、そのためよく働く人間の集団のほうがのんびりと過ごす集団を凌駕することになった。しかし、それは「おまえが土に還るまで、顔に汗することなくパンを得ることはできないだろう」(「創世記」)という苦役を続けることによってである。だから農業はまさしく呪いなのである、とタッジはいう。
 J・ダイヤモンドの「人間はどこまでチンパンジーか?」に「農業がもたらした明と暗」という章がある。こういうタイトルであるがほとんどが「暗」の話である。社会的あるいは性的な不平等、疫病、専制政治などがすべてそれに由来しているとされている。狩猟採集民は暇もあり、あまり働くことはしないと。たとえばブッシュマンが働くのは週12時間から19時間。農耕生活では栄養が単調になり病気になりやすい。狩猟採集時代の男の平均身長は男が178cm、女が168cm。農業がはじまるとそれがそれぞれ160cmと155cmになってしまう。トウモロコシで生活するようになると栄養不良による乳児死亡がきわめて多くなる。伝染病は人口が密集していないところではあまり問題にはならない。低栄養の人間が密集して住んでいるという環境が伝染病を蔓延させる。農耕生活は伝染病のもとでもある。
 だからこそ狩猟採集生活は長く続いてきたのであり、農業による定住生活というのは人類の生き方としてはまだきわめて歴史の浅い例外的なものであることがそこでいわれている。「人はパンのみにて生きるにはあらず」という言葉は農業を前提にしているのであって、農業のないところにはパンもない。
 ここでいわれている定住生活が退屈を生むという説はあまり聞いたことのない仮説であり大変に興味深いものであるが、従来の説を覆すほど画期的なものとはいえないように思えた。
 長くなったので、以下、稿を改める。
 

暇と退屈の倫理学

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人間の条件 (ちくま学芸文庫)

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世界文明史の試み - 神話と舞踊

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近代医学の史的基盤 下

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農業は人類の原罪である (進化論の現在)

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人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

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