橋本治「義経伝説」(「浄瑠璃を読もう」番外)

   河出書房新社 1991年
 
 この本は、だいぶ前に東京駅の「丸善」で見つけたのだったと思う。こういう珍しい本は見つけた時に手に入れてしまわないとすぐに姿を隠してしまうので、買った。買って安心して読まないままというのもいつものパターンで、本棚の奥に安置されていた。「浄瑠璃を読もう」を読んでいて、あ、これは関係あるなと思い、取り出してきた。案の定であった。
 出版されたのは1991年であるが、これは橋本氏28歳の時の作で、執筆15年後の出版である。執筆経緯は「あとがき解説」を信じるなら以下の通り。
 1978年、28歳の氏の頭の中に突然音楽が湧きだしてきた。残念ながら氏はそれを譜面に定着させる力がなかったので、それに歌詞ををつけてミュージカルにして、その詩の部分を原稿用紙に書きつけた。それが氏の処女作「ABC四谷怪談」。当時「週刊新潮」のコラムのイラストを担当していた橋本氏は、新潮社の編集者に、「あのー、こんなもの書いたんですけれど」と見せた。「面白いけど、ミュージカルはねえ」といわれた氏は「そうか、セリフ劇を書けばいいんだ」と思い書いたのが、第二作のこの「義経伝説」。ふたたび新潮社の編集者に見せるが、「面白いけど、日本じゃ戯曲は難しい」といわれて、「そうか戯曲の出版は難しいのか、でも有名な作家というものになれば本なんかいくらでもだせるのだから、作家になって有名になれば戯曲もだせる。では小説を書かなければ」と思い書き出したのが、第三作である「桃尻娘」。
 さて橋本氏によれば、作家というのは“自分”へのこだわりから筆を執るもので、処女作には濃厚に自分が溢れている筈なのだが、一般には橋本氏の処女作は「桃尻娘」ということになっているので、「橋本治? 変な奴!」とされている。それは“等身大の自分”に関する最初の二冊が刊行されてこなかったためである。ということなのだから、「これをみれば橋本治がわかる!」というようなものなのである。
 「ABC四谷怪談」(これはいまだ出版されていないのではないかと思う)は、鶴屋南北の原作の悪の浪人民谷伊右衛門を現代のどうってことのない青年に置き換えて、そのまんまミュージカルにしちゃったものなのだという。それで「義経伝説」は“ロッキード事件”をテーマにしたもので、田中角栄源義経三木武夫源頼朝、三木の後に総理大臣になった福田赳夫九条兼実田中角栄に総理を譲った佐藤栄作平清盛小佐野賢治武蔵坊弁慶越山会の女王が静御前児玉誉士夫が丹後の局、三木武夫夫人を北条政子をそれぞれ当て込んだのだという。これはシチュエーションを借用したということであって、性格をということではない。義経もまた田中角栄どころか「現代のどうってことのない青年」なので、これが橋本氏の“等身大の自分”なのである。学生運動が華やかであった当時の言葉を用いるなら“一般学生”。
 東大国文科卒の橋本氏の卒論は確か鶴屋南北であったはずで、「東海道四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」の外伝のようなものであるし、「義経伝説」は下敷きが「義経千本桜」だから、わたくしのように日本の古典の一般常識がゼロの人間にとっては「浄瑠璃を読もう」を読んで、ようやくこの「義経伝説」のおもしろさが少しはわかるようになったのかもしれない。
 遊びが一杯である。巻頭。
   前(さきの)内閣総理大臣
    知らざりき と角栄華は泡沫(うたかた)の むすびもあへず 散り果てぬとは
 ちゃんと角栄がおりこんであって、しかもバブルの崩壊まで予言しているというのが橋本氏の自慢。
 次に登場人物の紹介。
 名こそながれて 九郎判官源義経  光のどけき 右兵衛佐源頼朝  嵐なりけり 御台所北条政子  おきまどわせる 愛妾静御前  こころも知らず 武蔵坊弁慶  みだれてけさは 寵姫丹後局  以下延々と続くのだが、いづこもおなじ しらけの権太というのは、いうまでもなく「いがみの権太」などと書いているが、「いがみの権太」という名だけ知っていて、これが「義経千本桜」に出てくるなどということは昨日まで知らなかった(これからは、そんなことは昔からとっくに知っていたような顔をするに決まっているが)。
 前に書いたように当時、橋本氏は「週刊新潮」でイラストを担当していたのだが、“LOBBY”という政界裏情報のコラム記事なのだそうで、そのため政界の事情については勉強していたということで、ここに描かれた頼朝とか九条兼実などを見ても、橋本氏が現実政治についても、その裏についても、十分な知識を持っていたであろうことがうかがわれる。(ここでの頼朝など、いかにもというインテリで、芥川比呂志などが演じたら様になるだろうなあという感じである。)
 しかし、それで所詮、政治はそんなものとシニックにならないのが橋本氏なので、兼実、頼朝、丹後、政子、後白河法皇の5人によるコーラス「所詮私は力足らず」「非力な所は国民諸賢」「勝手気儘に何なりと」「すれば自ずと世の中は」「かくなり果つる」「ザマァない」「なべて此の世の出来事は」「成り行き次第。風まかせ」「流れて末は」「何とかなるよ」「日本よい国、双手を挙げて、行こか戻ろか、戻ろか行こか。右と左を秤にかけりゃ。右が重たい兄弟仁義、左も劣らぬ友好平和。ぐるっと廻って猫の目。どう転んでも私には、一切関係ございませんと、流行言葉も久しいもんだ。いずれも様、高座御免、下さりましょう。(と、五人一斉に手をついて深々と一礼する)ハハ・・・」というのに対して義経(すなわち橋本青年)は叫ぶ。「あんな気違いがノーノーとしてさ、・・あいつらは日本最大のガンなんだぞ。あいつらがいなくなんなきゃ駄目なんだ。・・復讐してやるんだッ!」
 現実の政治を知って現実べったりにもならず(右が重たい兄弟仁義)、現実の政治を知らずに空理空論を叫ぶのでもなく(左も劣らぬ友好平和)、現実はどうにもならないのかもしれないが、それでも駄目なものは駄目、間違っていることは間違っていると指摘しつづけるというのが橋本氏で、それは本当にこの「義経伝説」ころから一貫しているなあと感じる。
 しかし、その義経は「伝説」化されてしまうのである。「徒手空拳から身を起こし栄光の道を上りつめた義経。彼が転落への道を巡り始めた時、その生涯は伝説の中に封じ込められるのです」ということである(角栄義経がダブるのはそこ)。立派な説というのはご立派ですこと、といって祭りあげられてしまう。祭りあげてそれで無視され忘れられてしまう。
 などと書いているとえらく真面目な話になってしまうが、しかし、たとえば、義経と弁慶の対話?(例の京の五条の橋の上ですね)
 義経「ハァーイ。」 弁慶「ア・・・。何者だ?」 「あたしィ? ウーン、そんな事どうもイイでしょォ。それよりもお兄さァン、そこで何しているのォ・・。」「何してるって、刀をね、集めてるんだよ。」「刀って、どの刀よォ、ウーン(以下、はばかられるのでト書きは省略)あたしも持っているわよォ。」「ウ、ウン。素敵な刀だねェ。」「金よォ、本物よォ。」「金かァ。」「そうよォ、さわってもいいわよォ。」「そ、そうかい、じゃァ・・。」「ウーン、そっちじゃないわよォ。」「だってェ・・・。」「アァ、そこ、だめよォ。」「じゃ、ここはァ。」「アァ、ウーン、これ以上は駄目よォ、家来にならなきゃァ。」「家来ィ?」「そうよォ、家来になったら、ウーン、こう、よォ・・・。ねェ、なるでしょう?」「なる! なる!」だものね。
 ついでにサービスに、丹後の局の台詞もちょっと写してみる。「エヽ、その分別面が気に入らねえ。手前ばかりが人でなし。聖人面して下すんな。相手は名だたる三枚腰。一深二浅で攻められて、腰を抜かすは知れてある。抜けた腎虚の筒提げて、立つ瀬があればしめたもの。三段締めの巾着切り、人も名を知る宣陽門院、生んだ子宮(こつぼ)のお局様。丹後でござんす兼光様。勿体つけての政り事、後の祭りで泣かんすなえ。」 28歳の橋本青年は政治のことばかりでなく、いろいろなことを知っているのである。
 それで静御前なんかもとんでもなく、登場の場面では、タバコをふかしながら麻雀をしている(橋本青年、麻雀も詳しいみたい)。最初の台詞。「何言ってのよ、ドラに目がくらんだんじゃない、悪どいったらないわ。人から満貫ふんだくっといて何言ってんのよ。はいッ! オーラス!!」
 それで権太の妹お里。「分かるゥ? 矢ッ張りィ。ほら、あたしさァ、さめてるところがあるじゃない。だからみんなね、クールだって言う訳。それも悪くないんだけどさ、本当はあたし、やさしいのよねェ。」
 お里と静御前は“原桃尻語”でしゃべっているのだそうです。
 「ABC四谷怪談」と「義経伝説」で自分のことは書いてしまったので、「中間小説の読者はみなオジサンでェ、オジサンは永遠に女子高生が好きだからァ、それで女子高生の話を書けば受けるかもしれない」と思って「桃尻娘」を書いたのだそうである。(わたくしは「桃尻娘」ももっているのだが、どうにも読み続けられない。女子高生に関心が持てないのはオジサンとして、変なのだろうか?)
 この本は絶版のようである。やはり目にしたときに買っておくのが大事なようである。 
 

義経伝説

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