計見一雄「戦争する脳」(1)

   平凡社新書 2007年
 
 「戦争する脳」といっても人間が好戦的であるという話ではない(そういうことが否定されているわけでもないが)。
 著者が生まれたのは1934年昭和14年で、生まれる2ヶ月前にナチスドイツがポーランドに侵攻している。終戦が6歳、昭和21年に小学校入学。ということになると幼少期は完全に戦争の時期と一致している。学校にはいったときには教師も親の自信喪失していたので、道徳的権威はなにもなく、野放しの自由だけがあった。それなら、その世代に社会的な規範を身につけさせたものは何か? 原っぱにおけるガキ同士の交際によってであると、氏はする。あることをしていいかどうかは自分が自分に相談してきめる。権威や上長や抽象概念に相談することはしない。だから「世間」ということばが理解できないのだという。
 氏の本棚には精神医学関係の本はあまりなく、その代り現代史や第二次世界大戦の本がたくさんある。それは氏の父君が旧海軍の主計少佐であり、戦後、陸上自衛隊の陸将補で退役したことも関係しているという。そして本書は氏の昭和という時代にけりをつけるための本でもあるという。
 さて、今の若い方には「原っぱ」というのがわからないのではないかと思う。これは要するに空地なのだが、わたくしの小学校の時代には空地はまだあちこちにあり、そこには雑草が生えていたりしていて、そこで子供たちは勝手に遊んでいたのである。現在であれば、住居不法侵入になるのかもしれないが、誰もそんなことは考えなかったし、当然の権利?として、そこで野球をしたり、鬼ごっこをしたり、チャンバラごっこをしたり、正月であれば凧をあげたりした。学校の校庭で遊ぶというようなことは思いもしなかったのが不思議である。下校した後でまたいくようなところではないと思っていたのであろうか?。
 さて、橋本治氏がこんなことをいっている。

 実は、僕たちの世代(橋本氏は1948年生まれ、わたくしは1947年)っていうのは子供の時にチャンバラごっこをして遊んだ世代なのね。「原っぱ」ってことろでドタドタ遊んでて、それで完全燃焼しちゃったの。ある意味で、戦後民主主義っていうのは、すごくつまらない素晴らしいものを完成させちゃったなっていうのは、ドタドタ遊んでて幸福だった子供達っていうのを大量に作ってしまったことね。それだけなんじゃないかなって気もするんだけど。・・子供の時に原っぱでドタドタやってて、それで大学へ行くでしょう。でもつまんないだよね、大学って。・・で、その突然の盛り上がりっていうのはさ、やっぱり、その「原っぱ」という一種の閉ざされた空間の中での自由みたいなもんではあるけれども、「分かるやつにしか分かんねぇよな、ここはな」っていう、悪ガキのトーンで貫かれていっちゃうのね。・・全く次元を異にするチャンバラごっこというか、戦争ごっこが始まることによって、初めて「友達」が生まれてくって風になるのね。(「ぼくたちの近代史」)

 全共闘運動における解放区というのは子供時代の「原っぱ」を再現しようという運動であり、その「闘争」というのは子供時代の「チャンバラごっこ」の再現であったというとんでもない話なのであるけれども、われわれの世代が「原っぱの遊び」から社会的な規範を身につけたかというと、あまりそのような気もしない。ただ子供時代というのを濃厚にやったことは確かで、何しろゲーム機などというものは一切なく、「ごっこ」の刀も全部自作していたのだから、現在の子供たちは違う子供時代を送ったことは確かだと思う。
 晩年の阿部謹也氏はさかんに「世間」ということをいっていた。「個人」と「社会」の間に「世間」があり、それが(西欧風に捉えられた)「個人」の確立を妨げているというのである。たしか山本七平さんだったか、あちらのひとが日本に来て、日本人がいたって世俗的で信仰心に乏しいのを見て、それなのになぜ犯罪が少ないのだと不思議がっていたという話を書いていた。あちらから見ると、神のような超越的な存在が自分を見張っていることがないと、ひとはすぐに悪に走るに違いないと思うらしいのである。日本における世間の持つ力を彼らはわかっていないのだ、というようなことを山本氏は書いていた。これは「機能集団」と「共同体」という問題ともかかわるわけで、日本においては「機能集団」が容易に「共同体」化してしまう、ということがある。「会社」はある目的のためにたまたま存在している「機能集団」ではなく、自分の人生を捧げる共同体となってしまい、その「共同体」の規範がまた自分の規範となってしまう。つまり自分の属する組織=世間となってしまうわけである。
 医者というのはいたって組織への帰属意識が低い者が多いので、計見氏もまた医者であるがゆえに「世間」というものがまったくピンとこない人間となったのかもしれないが、氏の同期の人たちが社会的規範を身につけているのは「原っぱ」の体験によるのではなく、その後に所属した組織での体験によるのかもしれないとも思う。
 本書のなかほどに「明治以降今次大戦まで日本は何に失敗したのか・・失敗したのは貴族階級の育成」だったというところがある。氏が17歳の時に読んだバルザックの「谷間の百合」では「ノブレス・オブリージュ(武士は食わねど高楊枝)という古諺に・・」という部分があったのだという。つまり貴族というのは「世間」の規範にではなく、自己の内なる規範に従う人をいうのであり、逆にそういうひとを身分にかかわりなく貴族と呼んでもいいのかもしれないが、しかしまず型として身をもってそれを示す人がいてくれたほうがいいわけで、日本ではそういう人たちの養成に失敗したということなのであろう。
 原口統三の「二十歳のエチュード」に「武士は食わねど高楊枝。全く僕はこの諺が好きだつた」というところがあった。また「沈黙を尊重する僕は、旧世紀のこの国に住んでゐた武士の一人の亡霊なのかも知れぬ」とも。原口は「誘ひ合つて断頭台に登るやうな殉教者を軽蔑する」のであるし、「僕は忸れ合いが嫌ひだ。僕の手は乾いてゐる」「日本では年中黴が生える、この国の人々の手は汗ばんでゐる」とも書く。「二十歳のエチュード」には先輩である清岡卓行への敬愛が全編に綴られているが、原口統三にとって清岡氏こそが貴族であったのであろう。
 実はまだ序章「戦後最初の一年生」の6ページほどだけである、あちこち寄り道しているうちに長くなってしまったので、本章となる第1章の「否認という精神病理現象」以下は改めて論じることとする。
 

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)

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ぼくたちの近代史 (河出文庫)

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「世間」とは何か (講談社現代新書)

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