今日入手した本 「戦争はどのように語られてきたか」
- 作者: 河出書房新社編集部
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/05/25
- メディア: 単行本
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ちらっと目を通したところでは、渡辺京二と加藤典洋の文が面白そう。
小林秀雄は天性のアジテーターだなあと思う。「僕には戦争に対する文学者の覚悟といふ様な特別な覚悟を考へる事がが出来ない。銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであらう。僕にはこれ以上の覚悟が考へられないし、又必要だとは思はない。一体文学者として銃をとるなどといふ事がそもそも意味をなさない。誰だつて戦ふ時は兵の身分で戦ふのである。」
一方、多田憲一というひとの「戦争現象の哲学的考察」というのがひどい。「戦争は民族にとりて、それも興国の気象の躍如たるものが認められる民族にとりて、自分等の生存に必然な至高至大の超絶原理であると思惟せられる。即ち後験的思索によりて尋究することが出来ず、また分析的証明を以つて説明することの出来ない先験的ないし総合的の所与原理であると考察し得られる。・・」 日本語になっていない。戦争中はこういう文章があふれかえっていたのだろうなと思う。その中に、こういう小林秀雄の文があれば、それが見事な日本語で書かれているというだけで光ってしまう。
小林秀雄流の啖呵の切りかた(論理ではなく勢い)が日本の批評が克服すべき課題となっていったのもよくわかる。