養老孟司ほか「世につまらない本はない」 山田風太郎「昭和前期の青春」

 

世につまらない本はない (朝日文庫)

世につまらない本はない (朝日文庫)

 以前刊行された「バカにならない読書術」の改題加筆修正版なのだそうである。加筆修正はいいが改題はしないでもらいたいと思う。文庫化すると題名が変わるのでは困る。「バカにならない読書術」(これは新書)はひょっとすると読んでいるかもしれない。
 養老さんが、本とは精神科の患者さんのようなものと言っている。精神科の患者もいいたいことを持っている。本の著者もまた同じ。何かいいたいことがあるから本になっている。しかし、そのいっていることから欠落しているものは何かと考えるほうが生産的であるという。その人の見方ではみえなくなっているものは何かと考えるのだと。たしかに患者さんの主張をただきいていたのでは精神科医は商売にならないわけで、こういうことを言っているというのは、ここがおかしいというようなことを考えながら外来をしているわけである。しかしとにかく聴くこと自体が治療効果があるとされているから、聴くことそのものが有意義なのだとしても、言語で表明されているものの裏を考えるということは精神科外来のいろはなのであろう。
 「ネットには字数制限がない」ということも言っている。
 昨日、井上章一さんの「京都ぎらい」を少し論じたが、養老さんがこんなことを書いている。利根川進氏がノーベル賞をとったとき、あるテレビ局から「また京大ですね」という電話がかかってきた。養老さん答えていわく、「東大は賞をだす側で、もらう方じゃない」。
  これも既刊の文庫化。「敗戦直後から、日本人ひとしく「負けてよかった。勝っていたら大変だった」と苦笑いしてつぶやいていた」のだという。本当にそうなのだと思う。いつの間にか肥大して手がつけられなくなっていた軍部をそれ以外のやりかたで解体することなどできなかったであろうとみな思っている。また「日本の再軍備タブー論は、いっぺん結婚に失敗した人間のならべる結婚有害説に似ている」ともいう。とにかく奥さん(ご主人?)にとことん懲りているのである。山田氏は「結婚するのがノーマルなのである」というのだが、再軍備タブー論というのは、日本人は結婚には向いていないのだということがいいたいのであろう。