J・マーチャント「「病は気から」を科学する」(2)第一章「偽薬−プラセーボが効く理由」

 
 ある自閉症児が胃腸障害のために大腸の内視鏡検査を受けた。検査では特に有益な情報はえられなかったが、それにもかかわわらず症状は劇的な改善をみせ、胃腸症状が改善し、良眠できるようになり、意思の疎通にも改善がみられた。
 両親はこの子の検査で用いられたさまざまな薬などをしらべ患児の膵機能のチェックのために用いられた消化管ホルモンであるセクレチンがこの効果をもたらしたのだと確信するようになった。他の患児二人にも追試したところ同様の効果がえられた。さらに追試が行われ、その経過がテレビで放映されると、セクレチンの在庫はなくなってしまい、2500人以上の児が治療をうけた。
 副作用の懸念もあって二重盲検法がおこあわれた。その結果はNEJM誌に発表されたが、セクレチンの無効をしめしていた。しかし実はセクレチン群もプラセボ群もともに著しい効果を示していたのだ。ゆえに有意の差がえられなかった。
 その治療は有効だった。しかしセクレチンとは無関係だった。

 ある75歳の老女が転倒して背骨にひびがはいった。そのためひびに医療用のセメントをつめる椎体形成術をおこなった。しかし実はこの時期椎体形成術の二重盲検試験がおこなわれていて、彼女はプラセボ群であり、なんらの治療もうけていなかった。
 この治療はこのころよくおこなわれていた。ただ、セメントの注入量はどうでもよく、患部以外の場所の骨にうってもきいた。患者に偽の手術をおこなうことは倫理的に問題があるが、あらかじめセメント注入が行われるかどうかは50%であると告げておく。結果は、椎体形成術はあきらかに有効であるがプラセボ手術との間に有意な差をみとめないというものだった。どちらも痛みの程度は半減していた。効果が高い手術を受けたと信じることは症状を緩和させ時に消失させることは明らかだった。
 このような現象はプラセボ効果と呼ばれる。そのような効果がある以上、医薬が有効であるというためにはプラセボ効果以上のものがあることが必要と考えられるようになりプラセボ対照試験が導入されるようになった。
 狭心症から膝関節症までの手術での53件の対照試験の半数で偽の手術は本当の手術と同程度の効果がえられた。
 そうだとするとプラセボ効果は積極的に利用すべきものであって、危険をともなう本当の手術の代用とはならないのだろうか? 「もうすぐよくなると信じること、それ自体に効果があるのではないか?
 プラセボ効果を積極的に研究しているグループがある。
 パーキンソン病神経症状などが暗示によってしばしば軽々することがあることはかつてからしられていた。偽薬はしばしば著明な効果をしめす。その効果は脳のスキャンで確認できる。偽薬投与でも脳内にドーパミンがあふれてくるのである。その効果はほんものの薬を飲んだ場合とかわらない。プラセボ投与は本当の薬を投与したのと同じ脳内の変化をおこせるのである。
 では、信じる心が薬と同じ効果を生むのだとしたら、なぜ本物の薬が必要なのか?
 1970年代からエンドルフィンを呼ばれる脳内物質が鎮静剤としての効果をもつことがわかってきた。つまり脳が薬を産生していたのである。ではプラセボはこの脳内物質の産生をうながすのではないだろうか? プラセボ投与後エンドルフィンの効果を遮断する薬を投与するとプラセボ効果が消失した。
 つまりプラセボ投与により痛みが消えたとしたら、それはごまかしでも幻想でもなく生化学的プロセスによるのである。
 多くの痛み止めはそれ自体が鎮痛効果を持つのではなく、脳内のエンドルフィン受容体と結合することで効果を発揮する。その効果は患者がその薬の投与を知っているか否かには関係しない。もう一つの効果は薬が投与されたことを知っていることから生じる。
 プラセボ効果は単独の現象ではなく、種々の反応のるつぼであり、脳に生まれつきそなわっているさまざまな薬理物質とのかかわりから効果を発揮する。
 とすればプラセボ効果には限界がある。
 脳が天然にもっている天然のツールがなければ発現しない。また、期待がもたらす効果は特定の症状に限られる。痛み、かゆみ、発疹、下痢などに特に有効で、うつ病や不安、依存症などの精神疾患で特に強くきく。
 その結果プロザックなどの効果はプラセボをそれほど超えるものではないことも明らかになってきた。
 しかしコレステロールや血糖値にはほとんど効果はない。喘息では患者は楽になったというが呼吸機能は改善していない。
 プラセボは魔法の薬ではない。
 
 プラセボについては以前から興味があり、何冊かの本を読んできた。
 最初はシャピロらの「パワフル・プラセボ」である。2003年の翻訳刊行であるが、古いためかプラセボ効果の機序ははっきりしないと書かれている。
 N・ハンフリーの「獲得と喪失」では、プラセボ効果につき、患者がその治療をうけたことに気づいていること、その治療にある種の信頼を抱いていること、その信頼が治癒への期待を産み、そこ期待がそのひとの自己治癒能力に影響をあえたえるという形で効果を発揮するという説明をしている。自己治癒能力が存在するところではかならずプラセボ効果も存在する。ハンフリーは進化学者として、なぜわれわれにはそのような仕組みが備わっているのかという疑問を提示する。脳と治癒システムをつなぐ専用の回路があるはずであり、「自然の健康管理制度」という視点を導入している。そして人間に本来備わっている自然治癒力はいついかなる場合にでも発揮されるわけではなく(なぜならその過程はエネルギー浪費的であるから)、それに投下されるエネルギーと貯蔵された防御システムの浪費という観点から考慮されなければならない。とすれば、今安全であると信じている物は安心して自然の備わった免疫機能を発動させるであろう。つまりプラセボの投与は安心感をあたえそれが自身にそなわった自然な免疫機能を発揮させる。
 シンらの「代替医療のトリック」では鍼の効果をプラセボ効果によるものとして説明しようとしている。ここではプラセボ効果が得られるのは患者がその治療法を信用している場合だけとされているが、そうとはいえないことが本書の後半で述べられている。
 臨床に従事する医者はみなプラセーボ効果についてよく知っているが、それについては複雑な思いをいだいている。一般に医者は臨床経験をつむにつれてプラセーボ効果について熟知し、それをうまく使えるようになっていくものだと思うが、同時に何か割り切れないものも強く感じるようになる。なんだか呪い師にでもなったような気がしてくるからである。どう考えてもそれが「科学」とはかかわりのないものとしか思えないからである。
 だから本書のように、プラセボ効果について実験的?アプローチをしているのを見ると嬉しくなるのである。

「病は気から」を科学する

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