J・マーチャント「「病は気から」を科学する」(6) 第5章 催眠術−消化管をイメージで整える

 
 本章は催眠術をあつかう。この辺りまで来ると、正統派の医療者は眉をひそめるのではないかと思う。ここで対象とする疾患は過敏性腸症候群(IBS Irritable Bowel Syndrome)。本書によれば、精神的なものとして片付けられがちだが、世界の人口の10〜15%がそれによる鼓腸、痛み、下痢、便秘に悩んでいるとされている。慢性疲労症候群と同じく「機能上の」病気とされている。現在利用できるさまざまな検査では異常が発見できないからである。「機能上」は「器質的」に対応する言葉で、内視鏡検査とか血液検査などで何の異常も認められない。たとえば感冒などにおいてもレントゲン検査や血液疾患には多くの場合異常がない(血液検査に軽度の異常はあることはあるが)。しかし、その症状の背景にウイルス感染があると想定されているので、これは器質的疾患の範疇にはいる。しかしIBSは機能的なものであり、端的にいえば本書でいうように「あなたの思い込みにすぎない」と医者は思っている。
 ウォーエルという医師は、筋肉の弛緩に催眠術が有効であるという記事を読み、それが消化管の弛緩にも有用なのではないかと考えた。1980年代のことである。
 催眠術のようなトランス状態の歴史は人類の歴史とともに古い。しかし、催眠術の近代史はオーストリアの医師メスメルとともにはじまる。メスメルはあらゆる生物の中に流れ、互いを結びつけている未知の流体があると考え、それを「動物磁気」となづけた。彼はこの流体の流れが滞るとひとは病気になり、それの適切な流れを取り戻すことで病気を治せると考えた。当初は磁石でそれを操るとしたが、やがて両手を動かすだけで、患者の中の流体を移動させられると主張した。麻痺や失明の患者がこれにより治った。多くの患者が(多くは女性)が水と鉄屑のはいった桶にすわり、医師はそのまわりを歩いたり、患者の体をこすったりした。患者はヒステリー発作をおこした。
 1784年、ルイ16世は、科学者を集めてメスメルの手法の評価をさせた。電位計や磁位計には何の反応もでなかった。ここに招聘された科学者の一人であるB・フランクリンは「動物磁気が存在する証拠はなく、想像力が高まったことに起因する現象にすぎない」と結論した。
 その評価にもかかわらず催眠術師たちは19世紀まで欧州と米国で診療を続けた。医学界は無視を続けた。
 1841年、ある医師が催眠術をみて、そこには何かがあると感じた。催眠術師の怪しげな手の動きなどは必要なく、ボトルの蓋やろうそくの炎などに注意をむけさせるだけでも催眠をかけることは可能であることにも気づいた。これは単なる物理的現象であり、科学的な研究が可能であると考えた。
 催眠術は精神分析医に受け入れられ、初期のフロイトはこれを利用した。
 M・エリクソンは暗示を利用するようにした。「あなたはゆったりと座っている・・」
 しかし大部分の医師はそれを無視し続けた。催眠術が脳に何をしているかまったくわからなかった点も大きい。著者のマーチャントは、車でどこかにでかけたとき。途中のことを思い出せないとか、面白い本を夢中になって読んでいるときなど、われわれは催眠状態にいるのではないかとしている。
 最近の脳スキャン検査によって、催眠状態の脳には何か重大なことが起きているらしいことが明らかになってきた。
 最近では、依存症・恐怖症・摂食障害などに対する治療法として催眠術は正規の治療法として米英の医師会から認知されるようになってきている。
 実際に催眠術による暗示で、血流を変化させることができる。また免疫系にも影響をあたえることもできる。
 本書によれば、脳と消化管は密接にかかわっていて、双方向に通信がある。自律神経系と血流中のホルモンがそれにかかわる。この課程はわれわれの意識には通常のぼってはこない。 IBSの患者はこの双方向の通信に異常がある、とこの方面の研究者は考える。
 心理療法との対照試験では、心理療法には何の効果も認められなかったにもかかわらず、催眠療法には顕著な効果がみとめられた。もちろん、催眠療法があらゆるIBSに有効なわけではない。しかし有効であったものについては効果が長く続く。
 問題はこれが治療法として認可されるかである。英国ではIBS患者に対し、他の治療法が効果がなかった場合に限って催眠療法での治療が認可されている。
 しかし、この療法は二重盲検に適さない。そのため科学と医学の世界ではこれはいかさま治療と思われてきた。この治療法の受け入れるための壁はとても高くそびえている。
 
 メスメルの考えた動物磁気は存在しなかった。それにかかわらず、彼のしたことは有効であった。というようなことを考える時に、フロイトがあたえた無意識とか夢とかいうものへの解釈は間違っていたということが現在では確実であるとしても、それでも、フロイトの方法はいまでもある臨床局面では有効であるといったことを想起してしまう。
 だから臨床家はある場面では患者の語る過去の物語が事実ではないとしりながら、それを肯定するというようなことをするかもしれない。しかし、有効であるならば催眠術を自分で身につけようとするだろうか? そうとは思えない。つまり催眠術というのには科学をこえる何かがあるように思えてしまうために、容易にそこには踏み込めないということがあるのではないだろうか? 催眠術というものは術者にもそれがどこに作用することによって催眠という現象がおきるのかということについての理解がない。fMRIなどによって催眠術によって催眠にかかったものの脳に大きな変化がおきていることが観察できるようだから、それが生理的な現象であることは確実である。しかし脳という、現代でもまだ大きなブラックボックスである臓器を操れてしまうということにはある種の怖さがともなう。
 本書で論じられるのはほとんどがIBSという消化管におきる病変であるが、それに有効であるなら過活動性膀胱といわれる病態にも同様に有効なのだろうか?ということを本章をよみながら思った。この病態もまた多くのひとの日常生活を強く破壊する。過活動性膀胱についても多くの薬があるが、それほど有効性が高いようには思えない。
 そして医療者はIBSも過活動性膀胱もあまり真剣に病気としてはとらえていないだろうと思う。それはその疾患の病理学的異常あるいは検査上の異常が捉えられていないからである。膀胱容量の減少とか検査によって客観的な異常は把握できるのであろうが、それを生じさせる生理学的、病理学的異常が特定できなければ、それらは本人の気の持ちようといった方向に収斂していってしまう。
 本章を読んでつよく印象づけられるのは、脳と消化管のきわめて密接な関わりである。脳というと一方では《こころ》の臓器である。他方では神経系の中枢として痛みとかに深くかかわることは理解されている。しかし消化管や膀胱といった臓器は従来からは脳からは独立しているというイメージでみられてきたのではないかと思う。消化や吸収といったことは消化管それ自体が自律的におこなっていて、脳からは独立しているとされてきているのではないかと思う。どこどこの臓器はどのような消化酵素を分泌し、したがって食物はどこの消化管でどのような代謝分解されるというような理解であると、脳の出番を想定しずらい。
 もちろん、《ストレス》があると胃酸の分泌が亢進し、結果として消化性潰瘍が生じやすいというようなことは従来からいわれている。脳と消化管の関連は明らかなのだが、それは全体的なものとは思われてこなかった。
 結局、われわれにはまだ脳というものがほとんど理解できていないということが、われわれが目撃するある種の状況を不思議あるいは奇妙奇天烈と感じさせてしまうのであろう。
 そして脳が心の座ということになってくると、西欧におけるキリスト教支配の伝統の中では、唯一魂を持つ存在という人間という見方が、脳という臓器についての真っ当な方向の研究を大きく阻害してきたということが、今にいたるまで大きな祟りとなって残ってきているような気がする。

「病は気から」を科学する

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