J・マーチャント「「病は気から」を科学する」(7) 第6章「痛み − バーチャルリアリティと鎮痛剤」

 
 本章は痛みの問題をあつかっている。
 従来は末期がん患者の疼痛などに対して処方されていたオキシコンチンのようなエンドルフィン類似構造の合成化合物がどんどんと軽症の痛みに対しても処方されるようになってきており、耐性が生じて効果が薄れ、どんどんと使用料が増えていく。ことは特に米国で問題で、世界人口の5%以下のアメリカが全世界のオピオイド処方の8割を消費している。鎮痛剤依存症は米国史上最大の薬物汚染であるといわれている。何らかの方法で鎮痛剤使用料を減らせないだろうか? たとえばヴァーチャル・リアリティを用いて。
 高解像度3D画像をゴーグルなどを通して、外部からの視覚と音声を遮断して仮想現実の世界に没入させることにより、痛みの自覚を軽減させるという実験がはじまっている。
 何かに没頭することにより痛みを軽減できる。脳が意識的に注意を向けられる能力は決まっているので、痛みに意識が集中すると痛みの自覚は強くなる。催眠術が痛みを軽減できるのも、注意を他にそらすことと関係するらしい。
 痛みに対しては音楽をただ聴くことやビデオ・ゲームをしたりすることにくらべると3Dヴァーチャル・リエリティは非常に効果が大きい。臨場感があると没入しやすくなるためらしい。この効果は脳のスキャンでも実際に確認されている。
 確実は麻酔法がない時代には、手術の鎮痛に催眠術は大きな効果があった。催眠術の場合でも脳のスキャンでその効果が示されている。実際に催眠術は有効なのだが、現代人がそれを信用しないこと、催眠術をかけられるスタッフも不足している。
 幻肢痛など脳には多くの不可思議な現象が知られている。
 関節痛の場合、関節そのものが痛みを感じさせるのか、脳による関節の認識の仕方が問題なのか?である。
 そしてヴァーチャル・リアリティによる疼痛の緩和は製薬会社にとって魅力のある研究ではない。しかし、ビデオソフト業界にとっては将来の魅力ある市場であるかもしれない。
 
 ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」などを読んでいても、本当に脳というのは不思議な臓器である。そしてラマチャンドランは西欧以外の出自のひとであるけれども、西欧のキリスト教の伝統のなかでは、人間は魂をもつことによって人間以外の動物と明確に区別され、そしてその魂の座は脳であることになっているので、西欧の脳科学者は変なことを言い出すひとが多い。たとえばエックルス、あるいはガザニガ。ダマシオの「感じる脳」といった著作が注目されるのも、従来の脳の機能としては軽視されてきた感情といった側面を重視しているということがあるのであろう。
 最近、整形外科領域においては腰痛が大問題となっているらしい。その半分くらいは心因によるとされる傾向にあるらしい。
 本章を読んでも、痛みというのが客観的な存在ではないことを強く感じる。心頭滅却すれば火もまた涼し、というのは案外本当のことかもしれないのである。
 

「病は気から」を科学する

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脳のなかの幽霊 (角川文庫)

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脳と実在―脳研究者の哲学的冒険 (1981年)

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デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)

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