走る人

 最近、散歩をするようになって感じるのがジョギングというのだろうか走っている人がとても多いということである。時によると歩いているひとより走っている人の方が多いことさえある。
 これはロコモティブ・シンドローム(高齢になって筋力の低下によって日常生活での立ち居振る舞いが困難になること)の予防としては有効だと思うが、どうもそれだけではなく、《走ることが=健康》というような思い込みがあるような気がする。
皇居の周りを何だか思いつめた表情で走っている人の表情をみると、何だか宗教儀式をしているような感じさえする。

 最近、面白くてパラパラ読んでいる四方田犬彦さんの「世界の凋落を見つめて クロニクル2011―2020」(集英社新書 2021)に、「ジョギングの社会階層」という文があった。氏はジョギングをしている男女に出くわすと不愉快な感じ、居心地の悪さを感じるのだそうである。
 氏はジョギングは「自分が危険のない安全な生活を送っており、緊急な用事などないことを誇示するために行われる。」という。それはジョギングをしないひとたち、ジョギングをすることなど思いつくこともないひとのことを考えればわかるという。貧乏人はそもそもジョギングなどする余裕はない。富裕層はテニスをしたり乗馬をしたりする。
 ジョギングはテニスや乗馬と違いタダである。彼等はジョギングをすることで、自分が貧乏人でも愚かな金持ちでもなく、聡明で健康で合理的な精神をもった「小市民」であることを誇示しているのである、四方田氏はそういう。

 わたくしはそんなことは考えたこともなかったので、随分とひねくれた見方だなあと思うと同時に、四方田氏のこの言で、中間層にとって健康が唯一の生きる目標になって来ているのなということを考えた。
さて、それなら、フィットネスクラブに通うひとはジョギングするひとより上で、乗馬やテニスをする人より下ということになるのだろうか?

 この四方田氏の本は面白いので、これからまた感想を書くことになるかもしれない。