本棚 (あるいは渡部昇一「知的生活の方法」)

 暇なのでよくYouTubeを見ているが、そこでの識者?(昔の言い方では文化人?)がいろいろと見解を述べているのを見ると、その人の背後は書棚であることが多い。意見を述べている本人に焦点があたっていて背後の書棚はぼんやりとしか見えないが、わたくしなどはそこでの識者の見解よりも、この人はどんな本を読んでおる人なのかなという方に興味がいってしまい、もっと本棚のほうをはっきりと映してくれないかなと思うことも多い。
 渡部昇一氏の「知的生活の方法」(講談社現代新書 1976)に「あなたの蔵書を示せ、そうすればあなたの人物を当ててみせよう」とある。これは「あなたの友人を示せ、そうすればあなたの人物を当ててみせよう」という西洋のことわざをもじったものらしい。
 この「知的生活の方法」については、当初「知的生活」?なんという嫌らしい言葉と思って読まずにいたのだが、何かの拍子に手をとって見たら、なかなか面白い本だった。
 そこに身銭を切ってでも本を買って手許に置けということが書いてある。医者をしていてある年齢からは小遣い銭にはあまり不自由しなくなったので、渡辺氏の忠告にしたがえるようになった。そうすると本が増える。で、この「知的生活の方法」でわたくしに一番切実であったのはp143からの「書斎の構想」での5つほどの書斎の設計図である。青木康という建築家によるものだそうである。
 しかしこんな書斎をつくろうとすると奥さんとのバトルが避けられないのではないかと思う。それで、この「知的生活の方法」では、以前の知的生活者は独身を前提とした修道院や寺院から生まれたとか、知の目覚めのためには、異性は邪魔なのである、とかなかなかのことが書いてある。
 西行は妻を捨てて出家したし、西ヨーロッパ文明は独身の男であるキリストの教えを基礎としているし、仏教文明は妻子を捨てた釈迦にはじまり、儒教文明は女性を「養イ難シ」とした孔子によるのだと。また、まことに前途有為な学徒が結婚した途端に駄目になる例を多く知っているとか・・。今ならフェミニスト軍団が柳眉を逆立てて押し寄せそうなことが延々と書いてある。ここには書かれていないが、イスラム教もその根底に女性への恐怖があるのではないかとわたくしは思っている。
 さらに渡辺氏は「西洋のインテリには同性愛者が多い」と書く。にもかかわらず日本ではそういう例をあまり見ないのは、戦前の女性は夫の邪魔にならなかったからであるのだそうである。であるから、(女性が強くなった)現代社会においては自由な知的生活を送るということは至難のわざであるとも書いている。
 配偶者を選ぶときには、美醜とか健康とか持参金とかセックス・アッピールなどにまどわされるな!と。
 ここでは知的生活は男が送るものであることに何ら疑いがもたれていない。わずか50年位前の本であるが、本当に「昭和は遠くなりにけり」である。