荒川洋治 「忘れられる過去」

  みすず書房 2003年7月25日初版


 たとえば「文学は実学である」という見開き二頁ほどの短い文。
 その書き出し。「この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。」 しかし、自分の目で見たものだけが現実であると思うひとが増えたので、文学は空理、空論であると思われるようになってしまった。文学者も「文学は世間では役に立たないが」と前置きして話すようになってしまった。だがそんな卑下はしてはいけない。文学は実学なのだ。ある文学作品を知ると知らないとでは人生が変わる。「それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な「実」の世界なのだ。文学を「虚」学とみるところに、大きなあやまりがある。」
 これだけのつよい言葉をいえる文学者(荒川氏は自称「現代詩作家」)がどれくらいいるだろう。「夢見るころを過ぎても」の中島梓氏くらいなものだろうか?
 それから「きっといいことがある」という文にでてくる檸檬屋という呑み屋の主人の住枝清高という人。そんなひとになれたらと思う。