柴田博 「中高年健康常識を疑う」その1

  [講談社選書メチエ 2003年12月10日 初版] 


 全体で6章からなるが、序章と終章は実際には導入とまとめのようなものであり、第1章から第4章までが本論である。第1章の「老人の健康常識の嘘」はタイトルは老人であるが、実際には成人病(生活習慣病)を扱ったもので、第2章から第4章までの老化、老人問題をあつかっている部分とかなり色調がことなるので、第1章のみをここで論じ、第2章以下は次にわけて論じることにする。
 なお、以下はかなり煩瑣な医療・健康管理問題にかかわる議論になるので興味がないかたはスキップしていただきたい。

 序章
 最近、<現在は6人の生産人口が一人の高齢者を支えているが、2025年には、二人が一人を支える>という議論がおこなわれている。この議論には大きな落とし穴がある。支えられる側に15歳以下を考慮していない。われわれは高齢者と若年者の双方を支えているのである。1990年には、15歳から64歳の人口が、若年・老年合わせて約30%を支えていた。2025年には、それが40%になるに過ぎない。これは1955年ごろと同じ数字なのである。さらに現在横行している議論は65歳以上が一方的に支えられる側に数えられており、それが支える側にも入りうる可能性について考慮していない。もしも人口の三分の一にあたる高齢者が一方的に支えられるだけの存在であるのならば、そのような社会は存続しうるわけがない。
 2002年のスペインでの国連「高齢化に関する世界会議」では「高齢社会を営んでいくためには、高齢者を社会資源として活用していかなければならない」という政治宣言がなされている。これは1982年の第一回の会議においては、高齢者の生活の質がもっぱら論じられたのとくらべて大きな変化といえる。
 「ピンピンコロリ」という現代版「ポックリ寺信仰」をよく耳にする。これは突然死、自殺、事故死、他殺以外では容易には実現できないことである。この「ピンピンコロリ」という言葉の根底にひそむものは、終末をむかえて心身に障害のある老人への嫌悪感である。人間は生まれてから二年くらいは、他者のケアなしではいけていけない。その終末においてもまた平均して二年くらいは他者のケアなしでは生きていけない時期をもつのである。それを当たり前に事実として受け入れることが必要なのである。

 第一章
 現在用いられている「日本人の栄養必要量」では、肉体労働ではなく事務的な仕事をする程度の生活に必要な20歳男性の必要カロリーは2300キロカロリーである。同じ活動の70歳男性ではそれが1850キロカロリーとなっている。なぜそうなっているか、20歳男性が171cm、65キロの人を想定しており、70歳男性が159cm、57キロの人を想定しているからである。20歳の時に171cmのひとが70歳で159cmになるはずはない。20歳で2300キロカロリーが必要なら70歳でもほとんど同じ熱量が必要なはずなのである。
 栄養障害には2種類ある。
  先進国型:繊維やマグネシウムの不足
  発展途上国型:熱量や蛋白の不足
 ところが先進国でも、高齢者の栄養障害には発展途上国型が多い。その原因としてはうつ、痴呆、歯牙の欠損、義歯の不良、経済的な問題などがある。さらに、アメリカでは車に乗れなくなると買い物にもいけなくなるということも関係する。しかし、日本では、高齢になったらあまり栄養をとらないほうが健康にいいという間違った常識があり、それもまた原因となっている可能性がある。
 1930年代にアメリカで、カロリー制限をするとねずみの寿命が延びるという実験がおこなわれた。現在のアメリカ人は3000キロカロリー以上をとっている。それを30%減らせば現在日本の2000キロカロリーである。アメリカでは20世紀の100年でカロリー摂取が1000キロカロリー増えた。日本ではこの100年2000キロカロリーのままであり、最近25年ではむしろ減っている。(他書によれば、1975年2226キロカロリー、1990年、2026キロカロリー、1996年、2002キロカロリー) アメリカでのカロリー制限はアメリカの現実に対応したものである。しかもそのアメリカにおいてさえ、ねずみではなく、人間においてカロリー制限が長寿につながることを実証した研究はひとつもない。
 日本人には肉食がむかないという奇妙な議論がある。しかし肉食こそが人間の寿命を延ばしてきたのである。
 栄養状態が悪い国では、飢餓と感染症が跋扈する。昭和25年までの日本がそうであった。死因の第1位が結核であった。
 栄養学的中進国では脳卒中が跋扈するようになる。昭和26年から55年までは、わが国の死因のトップは脳卒中であった。
 その後、日本では栄養状態が改善するとともに急速に脳卒中が減ってきている。それにもかかわらず心臓病は増えていない。それが日本が世界一の長寿国にれなた原因である。欧米では食の近代化が進みすぎ心臓病が増え、それによって寿命の伸びが頭打ちになっている。昭和50年以降の日本の食事はヘルシーなものと言える。しかし昭和30年代の日本の食事を理想とする粗食派の主張は間違いである。

 脳卒中の理解が重要である。
 脳卒中
  脳出血:食肉や脂肪の摂取が不足し、血中コレステロールが不足している人に多い。
  脳梗塞
    穿通枝梗塞(ラクナ梗塞):血中コレステロールが低い人に多い。
    皮質枝梗塞(アテローマ血栓梗塞):コレステロールが高すぎる人に多い。
 日本では前者が後者の3〜4倍あると考えられているが、ラクナ梗塞は食事が西欧化していくことでほとんどゼロになることが、ハワイに移住した日系人の調査で明らかになっている。なお、ハワイ日系人の食生活は、現在の日本人と西欧人の中間であり、その平均寿命は現在の日本人を上回っている(つまり、その集団だけとれば世界一)。
 アメリカでは日本人の3倍の毎日270gの肉を食べている。これが生活習慣病の原因になるという主張には根拠がある。しかし現在78gしか食べていない日本人がもっと肉食をへらすべきという主張にはまったく根拠がない。
 日本では仏教由来の殺生禁止の思想から肉食をきらってきた。それが戦後、コレステロールを日本人が過剰に意識してきた遠因となっている可能性がある。
 昭和35年には19gしか肉を摂取していなかった日本人が現在78gとるようになり、その結果脳梗塞が減ってきたのである。日本人が肉食を減らさなければいけない理由は何もない。
 肉食敵視と表裏の関係にあるのが脂肪敵視である。その元には、脂肪の過剰摂取が虚血性心疾患や大腸癌を増やすという疫学データがある。しかし、そこには人間をトータルでみるという視点がない。脂肪を多くとると寿命が短くなるかが問われなければいけないのである。
 いろいろな国の平均寿命と脂肪摂取量について調べると、脂肪の摂取量が一日125gまでは、脂肪を多くとるほど寿命が延びるという関係がある。現在日本人の脂肪摂取量は58gである。年々脂肪摂取が増えていると思っているひとが多いが、この25年で3g増えているだけである。それにもかかわらず、栄養摂取における脂肪の割合が増えているのは摂取カロリー量が300キロカロリーも減っているからである。日本人をふくめオセアニアの人は体に栄養素を効率的に蓄積する遺伝子が備わっているから、白人なみに一日3000キロカロリーのエネルギーと140gもの脂肪をとれば、白人の何倍も肥満や高コレステロールがおきてしまう。そのことを考えれば日本人の脂肪摂取至適範囲は現在の日本人と日系ハワイ人の中間であろう。
 脳卒中は脂肪摂取が少なく、また飽和脂肪酸摂取が少ない人に多い。飽和脂肪酸生活習慣病の元凶であるような言い方をされることがあるがまったく根拠がない。
 1977年アメリカ人は総熱量の42%を脂肪からとっていた。これを30%にまで減らそうという指針が作られた。一日140gから90gへである。日本人は58gで25%である。その彼我の差を知らずに、アメリカで脂肪を減らすから日本でもと考えるのはナンセンスである。

 飽和脂肪酸 一価不飽和脂肪酸 多価不飽和脂肪酸
  飽和脂肪酸:バターに多い。過剰ではコレステロールを上昇させ、血液凝固を亢進させる。
  一価不飽和脂肪酸:オリーブ油、食肉、赤身の魚、ウナギの多い。血中コレステロールを低下させ、血液を凝固しにくくする。
  多価不飽和脂肪酸:n-3系は魚介類に、n-6系はサフラワー油などに多い。抗動脈硬化作用を持つが、酸化物もつくりやすい。
 これらは大雑把に、1:1:1くらいの摂取が望ましいとされており、日本人の現状はそれにかなっている。
 現在ではやせ信奉者が多い。これは1959年にアメリカ生命保険協会が発表したデータの影響が大きい。やせているほど死亡率が低いというデータだったからである。しかしその後、やせているほど死亡率が高いというデータもでたし、現在ではやせすぎ、肥りすぎともに悪く、中庸の体重がもっとも長生きであるというデータが多く支持されている。身長170cmの男性では、65〜70kgが、160cmの女性では56〜62kgがもっとも長寿であるとされている。
 またBMIでみると、24〜28が長寿であり、20以下と28以上で死亡率が高くなる。巷でいわれている22が理想という説は正しいとはいえない。

 コレステロール
 1994年の時点で、血中コレステロールが低いことは、脳卒中のみならず、癌や自殺の危険因子であることが指摘されていた。
 コレステロールを虚血性心疾患とのかかわりだけではなく、総死亡、寿命との関係からみると、U字型すなわち、高すぎても低すぎても死亡率が高くなり、真ん中レベルでもっとも低くなることが多くの研究から明らかになっている。問題はこの真ん中レベルというのがどの範囲であるかということである。
 虚血性心疾患の人口十万あたりの死亡率は
        男性  女性
 日本:    50.8   42.7
アメリカ   181.1 167.5
 スエーデン 293.5 228.9
フランス   92.0 70.7
 
 このデータを見る限り、日本の長寿をめざす政策としては虚血性心疾患対策の優先順位は低い。日本の死亡原因の第二位は心疾患であるが、そのうち虚血性のものは、男性39%、女性34%である。
 コレステロール悪玉説のもとになったのは、いわゆるフラミンガムスタディである。この研究では血中コレステロール値は低いほどいいとした。また血圧も血糖も虚血性心疾患予防のためには低いほどいいとした。
 しかし1980年ごろから低コレステロールは癌の頻度を増すといい報告があちらこちかから発表されるようになった。それがが示したことは、癌はコレステロールが高いほど少なく、虚血性心疾患はコレステロールが高いほど多く、脳卒中はU字型で240〜269でもっとも低いというようなデータである。全死亡をみると、210〜239がもっともひくかった。
 現在までの報告を総合すると、脳出血は低コレステロールが危険因子であることは明らかである。ほとんどの研究が癌は低コレステロールに多いことを示している。また虚血性心疾患にコレステロールがかかわっていることも明らかである。
 1990年のさまざまな研究のメタアナリシス論文では、コレステロールの低下治療をおこなった群のほうがしない群よりも死亡率が高いことが示された。虚血性心疾患死が15%減ったのに対して、癌死が43%増え、自殺・事故死なども76%増えるためで、総死亡は7%増える。
 日本でのJ−LITという研究がある。強力なコレステロール降下剤をコレステロール220㎎以上の人に長期(6年)飲ませた場合の追跡調査である(対照群はない)。データでコレステロール200以下、特に180以下の人で圧倒的に死亡率が高く、がん死が極端に多くなっている。この成績では、総死亡がもっとも低いのは220〜239なのであるが、P85に引用されているグラフは奇妙で、それ以外は20刻みなのに、なぜか240以上が279までと40刻みになっている。240〜179では220〜239よりやや総死亡が高く、280以上ではきわめて高くなっているから、このグラフを見る限り、220〜239がボトムであるが、インターネットをみたら、その後その部分を20刻みに変えた修正版が発表されたらしい。それによれば、220〜239と240〜259ではほとんど差がなく、数値だけ見れば、240〜259のほうがやや低い。260〜279ではある程度上昇するというデータのようである。つまり修正版をみると総死亡でみる限り、200〜259までがボトムのように見えてしまうので、220〜239がボトムにみえるような苦心の発表をしたらしい(この研究はそのコレステロール降下剤発売メーカーのこ後援による研究)。またこの研究によればコレステロールが279以下では、180未満の群において心筋梗塞死が一番多い。この研究のサマリーによれば、この薬剤はきわめてコレステロールを強力に低下させ、その結果心筋梗塞死を減らしたことを示されたことが強調されている。それは間違いない事実なのであるが、もともとコレステロールの低下が心臓血管死を減らせるかを見る目的の研究であるので、総死亡については曖昧にしかふれられていない。
 なお、このJ−LITの研究結果により、日本動脈硬化学会は従来のコレステロールの正常値の220以下から、240以下に上方修正した。
 日本の心筋梗塞は高コレステロールによるものよりも、高血圧に起因するものが多いとの説もある。
 以上が第一章までのまとめである。

 さて、本書だけでは不公平であるので、脂質の専門家である寺本民生氏の「高脂血症テキスト」(南江堂)を見てみる。ちなみに氏はわたくしの大学同級。
 まず「序文」で、動脈硬化性疾患で死亡するひとは決して増えていないことが指摘されている。しかし動脈硬化性疾患をもつひとの数は増えている。それは治療の進歩により心筋梗塞狭心症脳梗塞の治療が進歩し、致命的ではなくなったから。それにもかかわらず、それら疾患にかかって延命した場合著しく生活の質は低下するという。ここでのっけから柴田氏の主張とすれちがってしまう。柴田氏はこれら疾患の死亡率への影響を論じているからである。
 さて寺本氏の本では、動脈硬化性の脳梗塞は増加しているとかかれている。しかしそこに示されているグラフで見る限り、ラクナ梗塞も動脈硬化性の梗塞もともに減少しているが、ラクナ梗塞の減少のほうがより大きいので、相対的に動脈硬化性の梗塞が増えているということのようにも見える。少なくとも、経年的な血中コレステルールの増加傾向に比例して、動脈硬化性の脳梗塞が増えていることはない。そしてそのことから将来虚血性心疾患の増加が懸念されるとしている点もやや説得力に欠けるように思われる。
 また寺本氏の本によれば、初期のコレステロール治療薬による試験では、虚血性心疾患による死亡は減ったが他の原因による死亡が増え、総死亡は減らなかったが、その後、強力なコレステロール降下剤が開発された後の試験では、総死亡も著明に減ったとして、スカンジナビアでの試験が紹介されている。しかしスカンジナビアは虚血性心疾患が死亡の第一原因であり、日本の6倍ある国であるので、虚血性心疾患死が減れば総死亡が減るのも当然であると思われる。
 また、スタチン系の強力な薬剤がでてからは、コレステロールを下げても死亡率、癌、自殺、事故死などの増加は見られていないとされている。J−LITの成績は言及されていない(2002年発刊の本であるから当然である)。
 
 わたくしは、日本で脳卒中が急速に減少してきた原因としては、塩分摂取の減少などの食生活の変化と高血圧治療の普及によるもののように思ってきた。柴田氏のように脂肪摂取の増加、肉食の増加がその原因であるとの理解はまったくなかった。こういう部分は疫学の難しいところで、脂肪摂取の増加、肉食の増加が脳卒中の減少と相関するというデータがえられたとしても、前者が後者の原因であるとはいえない。たぶん、日本人の食塩摂取量の変化と脳卒中の関係を見ても、同様の関係がえられるのではないかと思う。ただ、脳卒中が栄養中進国の病気というような認識がなかっただけである。以前、ある本で、日本では結核に対する薬が使われるようになる以前から結核はすでに減り始めていて、それは日本人の栄養改善によるものだという話を読んでびっくりした記憶がある。栄養中進国での食塩摂取量はさまざまであるはずで、それにもかかわらず肉の摂取の増加、脂肪の摂取の増加とともに、脳卒中の頻度が減ってきているデータが示されるならば、原因は塩分の摂取ではなく、肉食の普及ということになってしまう。さらに肉食の普及は経済状態の改善と密接に関係しているであろうから、実は経済状態が改善すると脳卒中がへるというようなこともあるからもしれない。ここで気になるのが高血圧の管理がどの程度脳卒中の減少に寄与してきたのだろうかということである。日本は世界一の長寿国で、それは日本の医療制度がすぐれているからであるというようなことをよく日本医師会が言っているが、本当は日本の食習慣のためにそうなっているのであって、日本の医療制度などは全然関係ないのかもしれない。
 本書を読む限り、高コレステロール血症の治療は>280くらいから始めればいいように思う。しかし日本の健診では>220で、高値と判定されてしまうし、動脈硬化学会も>240での治療を推奨している。しかも危険因子があれば>220から治療である。その危険因子の一つが男性45歳以上、女性55歳以上なのであるから、実質>220で治療である。わたくしは大した根拠もなく270〜280をこえた人で薬物治療を開始することが多いが、患者さんの側で250くらいになると治療しなくてもいいのですかと心配する人が多い。まあ、病院にくるひとはもともと健康にやや過剰な関心をもっているひとが多いのだけれども。
 日本人になぜ心筋梗塞が少ないのかという点は、寺本氏の本でも議論されている。民族の遺伝子の違いなのか、文化の違いなのか、これからの遺伝子解析から明らかになるだろうとしている。従来、なんとなくわたくしは、動脈硬化性の疾患は欧米では心筋梗塞で、日本では脳梗塞で発症するようなことを、その原因を考えることなしに思ってきた。わたくしが医者になったばかりのころと現在をくらべても、明らかに胃癌が減り、大腸癌が増えている。このような短期間での変化を遺伝子で説明できるはずもないから、これは食生活をふくめた文化の変化によるものであることは間違いない。そうだとすれば、日本人の心筋梗塞が少ないのも文化の違いによる可能性が高いのであろう。フランス人のように赤ワインをたくさんのむわけではないから、米とか魚とかが関係しているのであろうか?
 明日から高コレステロールの人にどののように対応していったらいいのだろうというのが当面の課題である。