橋本治 「橋本治という行き方 WHAT A WAY TO GO!」

  [朝日新聞社 2005年6月30日初版]


 何という題名!ではあるが、読んでみれば納得で、確かに「橋本治という行き方」なのである。本当に WHAT A WAY TO GO! である。
 幾つかのテーマを論じているが一番の骨格は教養論である。
 
 橋本治は、自分は原稿を書くことしかしていない人間であるが、もし無人島に流されたら、原稿を書くだろうかと自問し、書かないだろうという。食物の確保に一生懸命になる生活はそれなりに充実したもののはずで、文章を書くことなどするとは思えない。それなら監獄に閉じ込められたら? そこでは食物の確保の心配はない。それなら文章を書かずに絵を描いているだろう。監獄の壁は現実社会の人の思惑を排除してくれる。しかし監獄にいるわけではなく、現実の中で生きていると、人の思惑に取り囲まれしまう。それに圧迫されて死なないために自分は原稿を書いている。それをしていないと息苦しくなってくる。自分の自由空間が閉塞してしまわないように「自分」という防護壁を築く、それが書くことの意味である。
 昔はもっと積極的に「この幽閉状態から脱出してやる!」と思っていた。それがなくなったのは昭和の終焉と期を一にする。昭和が終わったというのは「正解の座が一つしかない」という状況も終わったということである。もしも「正解の座が一つ」しかなければ、その一つの座をめぐる争いが起きる。しかし、そうでなくなれば、すべては「そんな考えもある」となってしまう。人の思惑とは無関係に自分の選択ができることになり、自分は昭和が終わって自由になった。自分は自分と折り合いの悪かった「正解の座は一つ」という考え方に「昭和というイデオロギー」と名づけた。
 自分はいたって前近代的な人間である。外部というものを認めており、他者の需要を認めており、職業というのは他人の需要に応えることであると思っているから。自分の存在する余地は他人の需要から生じると思っている。こういう考えには近代的な自主性がない。前近代的人間には、自分より先に他人のいる外側があるのである。
 古典芸能の世界では「自分が出る」ということは未熟ということであり、芸は自分を消すことから生まれる。そこにもし何か新しいものが生まれるとしても、それは自分の方からではなく、古典芸能の方から生まれる。自分のやりかたは古典芸能の行き方なのかもしれない。自分のやろうとしていることは本来どういうものなのかということをまず考えてしまう。「自分」よりも「自分がやるべき対象」のほうを信じているのである。しかしだからといって、「自分の外にある本来」のいいなりになっているわけではない。自分の前にある本来性は「お前を排除する」という。ただ一度は本来性のほうに自分を捨てて入らなければならない。入って、自分を排除していた要素を消す。そういう形で、本来性を自分を活かすものに変えてゆくのである。
 自分は思想が嫌いである。他人の作った正解に自分を当てはめることをしたくないから。自分の学生時代は学生運動のピークで、右か左か選べ!という時代だった。自分は選べない人間だったのでバカといわれた。しかし、だからといって自分の正解ができて、自分の思想ができると、自分の思想の教祖になってしまうという恐れが今度はでてくる。
 若いときにプラトンの「国家論」を読んだことがある。自分は国家とは「お家騒動」「派閥争い」の延長と考えていたから、「国家論」にはそういうものが何もないのに唖然とした。それで思ったのが、ほかのひとはなんでこんなわけのわからない本をありがたがるのだろう、ということである。同じように自分にとっての神や宗教は「願い事を叶えてくれる魔法使いのおばあさん」である。しかるに神や宗教を論じた本にはそういうことはどこにも書いていない。
 大学生の時代に「大学解体」ということがあった。「大学にはなんの意味があるのだ? お前は大学に何しに来た?」といわれて、困った。他にいくところがないから大学にいったのである。そして大学に入ってみて学問が好きになっていたから。
 自分は、どう生きていいかわからないから、自分を未来にプッシュしてくれる過去を必要とした。「自分専用のパーソナルな歴史」を作りたいのである。
 自分の知識はすべて「雑」に属している。それは自分に必要なものだけを学んできただけだから。「ふーん、面白いなあ」「えー? そんなことってあるの」という反応を伴わない知識は自分の中に入ってこない。
 世の中には、マスターしておかなければならない教養の枠組があるという考えがある。そうであるなら、それをマスターしたらおしまいになり、その根本への懐疑が生じない。それでは深い知性とはかかわれず、現実に即応する力をもつことができない。
 自分は自分と関係のない知識は求めてこなかった。現在の日本の学校教育の一番の欠点は、なぜこれを学ぶことが必要かという大前提を教えることをしないことである。ただ試験にでるからでは困る。なぜ、試験にでるのか? なぜそれが人が生きていく上で必要なのかを教えなくてはいけない。
 雑だけでは、人としての思考のフォーマットができない。そこには教養が必要である。一方、雑とかかわらない教養だけであると、生きることに関する実感が捨象されてしまう。
 自分にとっては、教養とは料理における「食材」である。また学問とは「料理の仕方」である。大学とは「ちゃんとした料理の仕方を教えるところ」である。しかし、多くの人は、教養を「調理をされた料理」と思っていて、大学は「料理を食べるところ」と思っている。
 インターネットによって、思考が一極集中の帝国主義的なものから、平坦な共和主義的なものに変化したといわれる。巨大コンピューターが支配管理する未来社会というSFでおなじみのテーマは古い帝国主義的な像に依拠していた。万能の巨大コンピュータという発想のもとにあるのは「すでに完成した」とされる「一つの教養体系」の想定である。すでに完成している知の体系のイメージがなければ、こういう発想はでてこない。インターネットの時代になって、「巨大なる知の体系」は「膨大なる点の集合」へと変わっていった。そこで問題となるのが「国家」である。インターネットという「横」の時代を「縦」に貫くものとしての国家である。「横」というのが空間的な広がりであるとすれば、「縦」というのは時間である。縦軸は教養体系であり、国家であり、時間である、ということになると、縦軸とは「歴史」である。「大衆社会の到来によって、かっての教養主義は古くなった」というのは、古典的な教養体系が唯一の縦軸から横軸の一つに転落したということである。
 ところが(この本が書かれた2003年において)、そういう「横」の時代に存在する「縦」がある。ブッシュとフセイン金正日である。「自分は正しい、自分だけは正しい」である。イラク戦争で一番わからないのが、イラク国民はどう思っているか、である。推測するにイラク国民は国家というものをそんなに重要なものと思っていないのである。フセインなんかどうでもいい。こっちは勝手にやる、ではないだろうか。国家より大事な民族とか宗教という枠組みがあるのだから。
 自分はづっと「既に完成してしまった知の体系」には従いたくない、と思ってきた。
 「論理の矛盾」を指摘されない限り、ひとは「論理の矛盾」に気がつかない、あるいは「論理の矛盾」ということがあることにさえ気がつかない。それに気がつかせるのが教育である。
 「あなたのいうことには論理的な矛盾がある」「そんなことを言ったって、言うのは個人の勝手だろう」というが日本の現状である。ここにあるのは「人とつきあう、接する」という社会人としての訓練の欠如である。「なにバカなことを言っているんだ」というのは「あなたのいうことには論理的な矛盾がある」ということの日常語ヴァージョンである。しかし、それに対して「あなたとわたしでは価値観が違う」という答えが返ってくるのである。本当は価値観が違うというためには、自分なりの論理体系がなければいけない、しかし価値観の違いという言葉が批判の拒否の手段として用いられてしまうのである。それは共生関係の拒否である。
 あなたはある体系に属するが、自分はいかなる体系にも属さないというのは対話の拒否である。たとえば、あなたはムラ社会に属するが自分はそれには属さないである。価値観の違いはしばしば「既にある教養体系からの逃避」である。ムラ社会からの逃避=自由なる個人である。かっては都市がムラ社会から逃げてきたものの収容所であった。しかし、都市に都市としての体系ができれば、都市もまたムラ社会となってしまう。
 論理は整合性である。人を納得させるものである。しかし、自分の整合性と他人の整合性を一致させるなどというのはとんでもなく大変なことなのである。
 批評において「作品の完成度」という軸がなくなってきている。価値観の多様化を認めると批評は死んでしまう。みんな個人の自由だ!でおしまいになってしまう。
 人生はまず学ぶことを必要とするということを認めるかどうかである。しかし、もう自分の価値観はできあがってしまっていて、それでやっていけると思っている人はたくさんいる。そこにあるのは、異質な他人に対する想像力の欠如である。他人というテクストを読むことができないのであり、本をちゃんと読めないのである。とすれば、書物はこれからも人間にとって必要とされる。とことん論理的にラディカルに問い詰めていくやりかたは日本では仏教的であるとして排除される。儒教はそうしないのである。怪力乱神を語らないのである。
 
 橋本治は自分は前近代的な人間であるというが、その意味は西欧に毒されていないということである。後ろめたさというものがない。河上徹太郎の言い方での「自然人」なのであろうか? 自我意識が強くない。だから、自分の分裂がなく、自己を肯定できる。
 橋本治の文章を読んでいていつも不思議に思うのは(例えば、「勉強ができなくても恥ずかしくない①〜③」(ちくまプリマー新書2005年3月〜5月))幼少時から小学校、中学、高校、大学まで、さらには現在までの経験が一本の線として繋がっていて、ねじれとか断絶とかに相当するようなものが見当たらないように見える点である。大抵の人間にとっては青春時代などというのは、ただただ恥の記憶、思い出したくもない過去であるのではないかと思うのだが。
 自分のことを考えても、中学生のころのあるいは大学生のころの自分と現在の自分が同じ人間であるとは思えない。そのころは人生経験といえるほどのものは何もないのに、頭の中にはわけのわからないことばかりが渦巻いていた。たとえば中学生のころトルストイの「人生論」などというのを読んだ記憶があるが、何でそんなものを読んだのだろうか? 別に見栄であったとも思えない。何でだかわからないが、「人生」とか人間どうあるべきかといったことを考えていたのである。
 橋本治は就学以前からしていた家業の店番とか、学校での経験といった具体的なことからいつでも思考を紡いできている。本を読んでえた抽象的な知識からものを考えるといったことをした形跡がない。
 大学時代に橋本治が一時学問の対象として選ぼうとしたのが歌舞伎である。型の世界、芸の世界である。橋本治の小説が何か現在の小説としては異質な感じがするのもそういう点にあるのかもしれない。春樹・龍、両村上の小説を読めば、そこにまぎれもなく作者を感じる。二人が自分を出そうなどということをまったく考えていないにしてもである。しかし橋本治の小説からは作者の匂いがほとんど感じられない。芸としての小説、(橋本治自身がいっているように)自分が信じるているあるべき小説の型がそれを書かせているという気がする。
 では前近代的な人間であるから共同体に生きるのかといえばそうではない。江戸にはフランス革命をおこさなければいけないのである。橋本治という「個」はつねに書いて外部との距離を計っていないと潰されてしまう少数派なのである。ただ、そこでの「個」は外部との違和として出現する。外部は自分と異なるものとして否定されることはなく、確固として存在する。しかし、自分はそれとは違う。外部は自分と対等であるが、外部が自分を圧迫してくるのであれば、外部を変えねばならない。外部を変えるためには、外部の中に入り込み、外部を動かしている論理を理解し、それを論破していかなければならない。
 一方、近代的人間においては、自分という「個」が先にできてしまう。それを作るものは、経験ではなく書物である。そして、そういう自分は気がついてみると、外部とは著しく異なっている。外部は(自分から見れば)遅れていて、それを動かす原理は義理であったり人情であったりしているのではあるが、論理では動いていない。そういう外部はひたすら嫌悪すべきものであり、唾棄すべきものではあるが、ほとんど自然同様に存在するものであり、否定することさえできない。そこからはただ逃げることしかできない。
 橋本治はそういう近代的なトニオ・クレーゲル亜流の選ばれた少数派意識とは正反対の位置にいる。この本にあるのは、そういう橋本治の独特な教養論である。旧来の教養論はあるべき近代的な「個」がまず想定され、その形成に必要な本はどのようなものであるかという形で議論されてきた。最近では「近代」は否定の対象であるのかしれないので、近代的「個」を乗り越えるために読むべき本はどういうものであるかであるかもしれないが。
 しかし橋本治のいう「昭和というイデオロギー」の時代が終り、ただ一つの正解(それが近代的な価値観であれ、ポスト・モダン的な価値観であれ)の時代が終わったとすれば、必須の教養というようなものはありえないことになる。
 この本でもなぜ昭和の終焉とともに「昭和というイデオロギー」が死んだのかは書かれていない。それを倒したのは橋本治ではない。書き方だけみれば倒れたという感じであり、何かが倒したということではないようであるが・・・。
 いずれにしても「昭和というイデオロギー」の死とともに旧来の教養もまた無力化したとしても、それにより出現した「価値観の多様化」にも橋本治は懐疑的である。そこでは論理による争いがないからと。論理を信じる点において橋本治はいたって近代的な人間でもあるわけである。要するに橋本治は対話による説得の可能性を信じている。問答無用ではなく、話せばわかる、なのである。あれだけたくさんの本を倦まずに書いているのは、「この職業が“いる職業”か“いらない職業”か、体張って確かめてやる」ということもあるのかもしれないが、自分の書いていることがどこかに届く、通じるという確信があるからなのであろう。わかるやつだけわかればいいということではない。わからせてやるぞ!という執念である。
 しかし橋本治のいう「自分専用のパーソナルな歴史」を必要としている人間というのは一体どのくらいいるのだろうか? いまの若い人をみていると自分が生まれる前は古代というような感じで歴史という感覚そのものがなくなってきているのではないだろうかと思う。だから物書きというのは、もう「いらないかもしれない職業」なのかもしれない、とも橋本治はいうわけである。
 教養とは「自分専用のパーソナルな歴史」をつくることなのである。あるいは渡部昇一の言い方によれば、make one's own library である。万巻の書をそろえることではなくて、自分に必要な書物を見つけることなのである。自分がどこにいるかを知ることであり、自分なりの価値観をもつことであり、そういうものが一人合点ではないかを確認していくことである。それは自分自身の必要があるからこそ、それに応えてできあがってくるものである。
 しかし、そういうものをまったく必要としないひともいるだろう。どういう人がそれを必要とするのだろうか? 多分いまいるところに居心地が悪い人である。ところで、わたくしなどは居心地が悪いとしても、本を読んでそれがなぜなのかが納得できれば、それでおしまいである。ところが橋本治は居心地を悪くしている周りを変えようとする。わたくしは受身の読み手であるが、橋本は発信する側の書き手である。
 書き手というのは発信することにより何を期待しているのだろうか? 現在あるものにささやかであれ、何かをつけ加えること? 世の中に、さまざまな見方があることを伝えていくこと? ただ様々な見方があるというだけであれば、たくさんのものが並んでいくだけである。問題はそれらの間で対話がなさせるのか? そもそも対話が期待されているのか、ということである。
 なんだかほとんどの人が対話の可能性について絶望しているような気がする。だからただ言ってみるだけなのかもしれない。誰もわたしのいうことには賛成しないかもしれないけれども、とりあえずわたくしはこう思うので言うだけ言っておきます、そういう言説がとても多いような気がする。
 そういう中で橋本治は対話の可能性を信じている稀有な存在であるような気がする。現在において何がしかの力をもっている書き手、わたくしから見るとそう見える養老孟司内田樹などというひとたちの言説が何がしかの力をもつように思えるのは、彼らが人に伝わる可能性をまだ信じているからであるように思う。
 橋本治は「どうなるか?」ではなく「どうするのか?」を問う点において丸山真男的である。しかし、近代的自我といったものには信をおかず、芸とか型とかいうものの方に信をおく。丸山真男を筆頭とする近代派はみな討ち死にしてしまった。それは多分、根をもっていなかったからである。自分の生活している場に根をもたない思考は弱い。明治以来の歴史しかもっていない大学は社会に根を張れていない。橋本治は「在野というポジション」ということをいう。在野とは大学以外、アカデミズム以外の場ということではない。たとえば、それはひとにわかるように書くということでもある。ひとにわかってもらうためには、まず自分でわかっていなくてはならない。自分でわかるとは、そのことが自分のどうような必要と対応するものであるかがはっきりしているということである。
 本書で橋本治は「桃尻語訳枕草紙」を書いているとき、上巻を出したとき、中巻・下巻にあたる部分はまったく読んでいなかったなどという恐ろしいことを書いている。昔、モンテイエの「ネロの都の物語」(中公文庫 1995)を読んだとき(といっても結局半分も読まないでなげだしてしまったが)、その解説を橋本治が書いていて、それが25ページほどの長大なもので、橋本治って古代ローマのこととか初期キリスト教史とかについてなんとよくしっているのだろうと感心したものだった。これは橋本治のはったりに騙されたのだろうか?
 氏はこれを「自分専用のパーソナルな歴史」をつくる必要上、仕入れたのかしれないが、わたくしなどは例えば吉田健一を読んでいる過程で吉田氏が典型的18世紀人としてギボンを称揚し、その「ローマ帝国衰亡史」の典雅な散文を礼賛しているのを知り、翻訳の「ローマ帝国衰亡史」を買ってみて、しばらくして投げ出す。あるいはアーレントの本を読んでいると、彼女がまるで昨日のできごとのような親しい感じでギリシャやローマのことを語っているのを見て、やはりこういう時代のことを何もしらないと西欧の書物は理解できないのだなあと思い、ローマ帝国についての本を何冊か買ってくるというやりかたなので、これは「教養」として読んでいるのであり、「自分専用のパーソナルな歴史」をつくるために読んでいるのでないから結局、身につかない。
 アーレントを読んだのは加藤典洋の何かの本を読んでいて興味をもったからであり、加藤典洋を読んだのは「敗戦後論」が話題になっていたからであり、「敗戦後論」を読んでみようと思ったのは、それが話題になっていたということもあるが、福田恆存に20歳ごろ熱中したころがあり、そのころの福田氏といわゆる進歩的文化人の間の論争を読んで、敗戦と戦後をどう捉えるかという問題に関心があったからである。
 だから加藤典洋敗戦後論」までは、まだわたくしの「自分専用のパーソナルな歴史」をつくるための読書であったかもしれない。しかし、そこで紹介されていたアウシュビッツ裁判傍聴記からアーレントを読み、アーレントの典型的な西欧知識人的知性(ハイデガー譲りなのであろうが)に仰天し、ギリシャラテン語が自由自在でない限り西欧は理解できないのだろうかと思うなどという方向に読書が拡散していくと、これは「自分専用のパーソナルな歴史」作成とは全然無関係になっていく、というか、「自分専用のパーソナルな歴史」作成が絶望であることを思い知らされるだけで終わってしまう。
 そういうやりかたをしていると、橋本治の「自分専用のパーソナルな歴史」をつくるという明確な方針がきわめて魅力的に映る。しかし、結局、あちらを読みこちらを読みということでこれからもやっていくのだろうなと思う。大きなジグゾーパズルがあり、それのほんの一部だけができていて、これからもそれのほんの一部をつなげていくだけで終わってしまうのかもしれない。それより怖いのは、いつの間にか、ジグゾーパズルの枠が拡大してしまうことで、時間がたつにつれて、未完成部分の比率がどんどん増えていくのではないかということである。どうもそうなりそうな気がする。
 それにしても、「ネロの都の物語」は何で読もうと思ったのだろうか。もう思い出せないのが怖い。


(2006年4月4日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)