ソーントン不破直子「ギリシヤの神々とコピーライト − 「作者」の変遷、プラトンからIT革命まで」 その1

  学藝書林 2007年11月
  
 著者については何もしらないが、新聞の書評で見て、興味がわき入手した本である。《西欧において「作者」という概念がどのように変遷してきたか》を古典ギリシャから21世紀まで通史的にたどったものとなっている。著者は大学の先生で、書き進めるときに念頭にあったのは、自分の大学院生に説明するとしたら、どのようになるかということであったのだという。200ページの本でギリシャから現代までをたどるのであるから、つっこんだ議論を期待できないのは当然であるけれど、もっとその先の話をききたいと思うところで、別の話題に移ってしまうところが多々あり、隔靴掻痒の感が残ったのも事実である。特に第七章「マルクス主義と「作者」」の冒頭で、資本主義がいまや唯一の有効な経済体制として認められ、ソ連、東欧の社会主義体制の崩壊を目撃しながら、なぜ文学理論の分野ではマルクス主義を奉じる人たちがいまだに多くいるのか、マルクス主義の何が長い間知識人たちを魅了してきたのか、それを見ていきたい、と述べているのだが、それへの著者なりの見解が提示されているとは思えなかった。
 そういう不満はあるが、そして<西欧において>「作者」という概念がどう変遷したかをたどるのであれば、当然<非西欧>との比較もほしいとも思うのだが、本書はコピーライト問題を手際よく整理した本となっており、知らないことをたくさん教えられた。
 以下、備忘録として整理してみたい。章ごとに最初にまとめを書き、その後感想を述べる。
 
 (序)「作者」という亡霊
 われわれは作品があれば「作者」が当然存在すると信じているが、文明の歴史の中で、作品を「作者」の私有財産とみなすという考えが世界的に認められたのは、わずか120年前のことである。
 ギリシャ古典でも、「旧約・新約聖書」でも本当の「作者」は創造物である神であり、人間はただ神の息吹を伝達する仲介者にすぎなかった。中世は伝達者が「作者」へと自立していく長い歴史である。ルネサンス人間主義、とくにモンテーニュの自己の内面が記述に値するという認識が、「作者」の地位を確立した。ロマン主義の時代には、天才は神にひとしいとされるようになった。対照的にマルクス主義は、文学は社会の上部構造であり下部構造の産物であるとした。一方、それに対抗するものとして、ボストモダンの「作者の死」という考えもでてくる。さらにグローバリゼーションとIT革命によって、知的財産という概念は「デジタル共産主義」の挑戦をうけるようになっている。
 というのが本書の大雑把な見取り図である。
 われわれ人間は、あるモノが存在すると、そのものがどうして存在することになったのかを知りたいという知的欲求をもつ。その欲求が「作者」という概念を生んだのであろう、と著者はいう。
 《感想》
 「あるモノが存在すると、そのものがどうして存在することになったのかを知りたい」というのは、宇宙はカオスでなく、コスモスである、そこにはなんらかの秩序があるということを前提にした議論であるように思う。創造主をすでに裏から呼びこんでしまっている。この議論はプラトンキリスト教神学に立脚する西欧でないと成立しないのではないだろうか? 「あるモノが存在する」ことから「そのものがどうして存在することになったのか?」という論に飛躍することは決して自明のやりかたではないと思う。
 
 第一章 神なる「作者」
1.プラトン
 西洋においてもっとも古い「作者」の概念の明確な記述はプラトンによるものでる。
 1)(ミューズの)霊感を受けた者(「イオン」)
 2)模倣者・ミメシス(「国家」)
 プラトンは、目に見えるものを模倣するだけでイデアをみない詩人を評価しなかった。詩は人々の感情をゆさぶり理性を弱め、人々をイデアから遠ざける点において有害なものと考え、詩人を国家から追放すべしとした。
2.アリストテレス
 プラトンと反対に、詩はそれを通してイデアをいたる道をひらくものとして評価した。イデアは具体的なものを通してしか人に知られないのだと。
 プラトンアリストテレスも、何かが「作者」の外にあり、その外なる存在をあらわすものが詩であると考えている。「作者」の個人的な感情であるとか精神であるとかには関心がない。また二人とも、宇宙が合理的な秩序をもって進行し、相互に関係して「自然」という全体をつくっているという認識を共有している。
 アリストテレスは詩人は詩文をつくるのはなく、プロットを作るのだとした。そのプロットがカタルシスをもたらす。
3.旧約聖書ヘブライ語聖書)
 「モーセ五書」は4つの資料からなるとされている。
 1)J資料:BC900年頃。一人の作者による。民間口伝を集めて整理し、はっきりとした筋書きとした。
 2)E資料:BC750年頃。これも一人の作者(祭司?)による。儀式や生贄を重視する。
 3)D資料:BC621年前。不特定多数による。選民思想の芽生えがある。
 4)P資料:BC450年頃。エルサレムの祭司たちによる。教会活動の体系化。
 「創世記」は第2章4節まではP資料。それ以後はJ資料による。P資料では男女に差別はないが、J資料では男性優位であり、女性は悪への誘惑者である。また、知恵を持つことが原罪であるという見かたをもっている。
 ここで注目すべきことは、神が形をつくり、人が名づけるという区別がされていることである。名前をつけるのは人の仕事なのである。創造と命名が分離している。
 「出エジプト記」の「十戒」で「いかなる像もつくってはいけない」ということがいわれる。神像だけではなく、いかなる生物や物体のイメージも作ってはいけない。ここでは「ミメシス」は罪となる。これは神が自分のイメージで人をつくったとするJ資料と反する。J資料は十戒以前の民話にもとづくのである。「十戒」では、人間の精神を強く動かすミメシスの力は宗教の敵であるとされた。
4.聖アウグスチヌス
 「聖書」の記載をギリシャ・ローマ古典の伝統と整合させた「西欧思想の父」である。
 人間の発する「声」と、イエス・キリストの「言葉」(ロゴス)を区別した。「神の所業が人間に理解されるためには、神のいった言葉の意味を伝える特別な仲介者が必要であるとし、それが洗礼者ヨハネなのであった。ヨハネの声は誰にも理解されず「砂漠で叫ぶ声」であったのだが、その声にイエスが意味を付与した。それによって「声」がはじめて「言葉」となった。
 ギリシャ時代と違うのは、ここでの神が唯一神であるということである。かりに言葉で表現された内容が人によって違ってうけとられても、その意味は最終的に唯一神の意味するものに帰着する。神のみが「聖書」のすべての意味の起源であり、人間である記載者は神の意味しているものをすべて理解しているとは限らないことになる。ここでは「聖書」の作成者はすでに存在しているものを形にしただけであり、本当の創造者、大文字の「作者」は神のみである。霊感も神に起因する。プラトンの「イオン」の霊媒としての「作者」という考えと通じる。人は全能ではないのだから、「聖書」の意味について正しい認識に達したとわかることはできないという考えはさまざまな解釈を許容するものでもあり、「聖書」はそこから多くの意味を生み出すことにできる生産的な書物となった。
 《感想》
 以上にまとめたことは、これから述べいく本論の前提となる部分なので、著者の特別な主張があるわけではない。多くの知識を教えられたが、書かれていることに特別な感想はない。思ったのは、こういう見方でいくと、ギリシャ悲劇の「作者」の位置というのがよくわからない、ということである。それはミメシスであるとは思えないので、霊感を受けたものの系列になるのだろうか? そもそもプラトンアリストテレスはどうなるのだろう? またアウグスチヌスは? かれらは自分の個人的意見を開陳しようとしたのではなく、自分の外にある「事実」を示そうとしたのだろうか?
 
 第2章 中世からルネサンス
1.中世の「作者」
 中世西欧の「手書き文化」は「修道院期」(5世紀〜12世紀末)と「民間期」(12世紀末〜15世紀末)に大別される。
 「修道院期」では、当時のほとんどの知識階級を独占していた修道院で、写本(コピーづくり)がおこなわれていた。この時代、大文字の「作者」は唯一神であったが、小文字の「作者」は各分野の権威であった。修辞学はキケロ、論証学はアリストテレスといったように。中世の学問とはこれら小文字の「作者」が創造し確立した法則や方法を修得し、それによりさまざまなことを判断できるようになることであった。ギリシャ・ローマの学者もキリスト教に合うように解釈された。解釈できないことはないことにされた。とするとキリスト教思想に合わないとして、写本作成の過程で除かれてしまった部分がある可能性がある。
 「民間期」になって写本は修道院の外でおこなわれるようになったのだが、この当時の書物は羊皮紙への筆写によっていたので、筆写者が書き間違えれば、内容が変わってしまうことになった。それを嘆く「カンタベリー物語」(14世紀末)の著者チョウサーの筆写者へあてた戯詩が残っている。
2.活版印刷と新大陸発見
 15世紀半ばの活版印刷の発明によって、筆写によってテキストが変化していくという問題が消失した。これが近代の「作者」形成に寄与したところは大きい。自分の書いたものが将来も不変の形で残りうると確信できるようになったことが重要である。
 もうひとつ大きいのが同時代の新大陸発見である。これは古代からの権威が一切説明したいないものであったから。権威がゆらぐことになった。権威の言語である(同時に死語でもある)ラテン語以外の言葉を用いることを正当化する根拠ができた。自分自身を権威とする方向がでてきた。
 宗教改革も印刷文化なくしては起こりえなかったのである。
 《感想》
 14世紀でもまだ羊皮紙を使っていたのだろうか? 紙はなかったのだろうか? 紫式部だって紙に書いたと思うのだが。
 新大陸発見が古典の権威者の権威失墜につながったという見方ははじめてきいた。いわれてみれば納得である。
 
 第3章 ルネサンスの「作者」
1.フィリップ・シドニー
 「詩の弁護」を書いた。彼は、哲学者は一般的教訓を抽象的に論じ、歴史家は個々の出来事に拘泥して一般的真理にいたらないのに対して、詩人は両者を兼ねるとした。詩人は神のつくった「自然」よりも優れたものをつくれるとした。
2.ミシェル・モンテーニュ
 個人の「内面」を発見した。それにより「観察する自己」と「観察される自己」の分裂が生じた。モンテーニュは自己の外にあって絶対的な創造力の源泉となる神を廃し、自己の心の動きのみを自己の指標とした。(両者ともに16世紀後半の人)
 《感想》
 日本の和歌など個人の内面の表現そのものではないのだろうか? 李白とか杜甫とかも。あるいはアラビアン・ナイトは? つくづくと西洋というのは(ギリシャ・ローマ時代を除けば)遅れた野蛮国であったのだと思う。「個人」がいなかったのだから。わたくしは「小説」が書かれるということが「個人」の存在の証左なのではないかと思っている。「源氏物語」は11世紀である。
 
 第4章 「作家」の財産権
1.ロック
 作品が「作者」のものであるという認識がおきるためには、私有財産という考えが普及していることが必要である。ロックが私有財産の概念を確立した。ロックは何かを占有しても、それを腐らせる前に使い切らなければならないとしたのだが、金銭を容認したため、「腐らない」金銭を無制限に蓄積することを肯定することになった。
2.パトロンと「作者」
 この時代には、詩人たちも、詩作は職業とずべきものではなく、作品を売って生計をたてることは卑しいこととし、本業が別にあるか、パトロンを得て閑職につき生計をたてることが望ましいとした。アマチュア主義である。自分の著作を売って生計を立てるのでなければ本当の意味での「作家」ではないという見解からすれば、かれらはまだ「作家」ではない。
 18世紀の半ば、サミュエル・ジョンソンがチェスターフールド伯の庇護を拒絶したことは、時代の転換の象徴である。出版社に認められれば、パトロンなしでも生活できるようになってきたのである。
3.コピーライト/著作権
 「作家」が自立できるために必要であったのは、「存続能力のある出版産業」と「作品を楽しむ読者層」である。その二つが揃うとコピーライトという考えが生まれる。日本語の「著作権」はコピーライトの訳語であるが、原語の本当の意味を伝えていない。コピーライトとは、あるテキストを印刷して「コピー」を作ることの独占権を意味する。この言葉ができた当時、主導権は印刷屋のほうにあった。本の価値の所有者は「作者」でなく印刷屋であった。この価値を独占しようという考えからコピーライトという考えがでてきた。
 1557年にロンドンの印刷業界ギルドのステーショナーズ・カンパニーは勅許により、傘下のギルドの会員がすべての印刷独占権をえるようにすることに成功した。そのため、従来は多くの出版社から出版されていたシェークスピアの戯曲は、すべての戯曲をおさめた高価な合本でしか売られなくなった。その後の150年間にこれギルド製の本以外のシェークスピアの戯曲の本が出版されたのはただの一回だけである。いわば国家とギルドの癒着であった。それにより国家は危険な書物をみはり、ギルドは本の値段をいかようにもつりあげることができることになった。
 18世紀中ごろには出版事業が大きな利益をうむようになってきたため、ロンドンのギルド支配がおよばない地方で印刷出版業を起こすものが多くでてきた(アダム・スミスの理論的な支援もあった)。
 しかし、書くことが金になることがわかると、「作者」は自分の仕事が大工や仕立屋と同じであるという考えに耐えられなくなってきた。大工や仕立屋が金のために顧客の要求に応じて仕事をするのとは違って、「作者」は社会の要求や評価から自立し、自分の独創性を発揮するために仕事をしているのだ、という考えがでてきた。商業的に成功した作品は芸術的価値は低いという奇妙な考えである(ブルデューのいう「反転経済の世界」)。これはロマン派の考えへとつながっていく。
 《感想》
 この章から本論の中心的な論点にはいっていく。コピーライトという語の語源などということを考えたこともなかったので、大変に勉強になった。
 最後の「作者」が俺は金のために仕事をするのではない、自分のために仕事をするといいだす部分は、著者はロマン主義とのかかわりで論じているように思うが、きわめて現代的な問題である。仕事は自分のためにするのか、他人の必要に応えるものか、ということである。前のエントリーで引用した上野千鶴子氏の《仕事というのは生計の方便である。あんたのやったことに他人がなんでゼニ出してくれると思う? その人の役に立つことをやったから、他人の財布からカネ出してもらえるんでしょ? 自分が好きなことしてゼニもらえるとと思うな。自分が好きなことは持ち出しでやるんだ。》にもつながるし、「反転経済の世界」は純文学と大衆文学といった問題にもつながっていく。さらには工学の威力が前面にでてきている現代においての人文学の地位がどうなっているかという問題にもかかわるはずである。
 
 第5章 ロマン主義と「作者」
1.エドワード・ヤン
 「独創的作詩に関する考察」で「天才とは、自己の内から湧き上がる想像力をもつもの」とした。
2.ウイリアムワーズワース
 詩人とは、あるがままの自然をみるものではなく、「ある存在」を感知する能力をもったものであるとした。それは普通のひとには理解されない感覚であるから、同時代に理解されないことが独創性の証明であることになった。そこには明白なエリート主義がある。
3.バーシー・ビッシー・シェリ
 人間の精神活動には「理性」と「想像力」があり、前者は既知の考えを関連づけるのに対して、後者は既知の考えに独自の光をあてて独自の原理とするのであるとした。ここには時代の功利主義的風潮への反発がある。彼はタッソーの言葉を引用する。「創造主の名にあたいする者は神と詩人のみなり」というものである。詩人は「自らも理解できないものを表現」するのであるから、自分自身の創作の過程は自分の理解を超えるとした。
4.ジョン・キーツ
 作品は「作者」が語るのではなく、作中の人物がその状況を語るのであるのだから、作品は自己を語るのではないとした。
 一般にロマン主義の詩人たちは、「理性では理解できないこと、説明できない」ことをむしろ誇るべきであるとし、論理や科学的思考の対極に文学をおいた。それが、当時勃興しつつあった近代産業に文学者が軽蔑の眼をむけ、あるいは完全に背をむけることを正当化した。その中でキーツだけは詩人のなかに「無力」をも見た点で特異な存在であった。
 《感想》
 ロマン主義の詩人たちに対して、著者は(キーツに対してを例外として)きわめて揶揄的である。わたくしもまた一貫して日本の「反自然主義文学」派に兄事してきた人間なので、その感覚はよくわかる。日本の「私小説派」がロマン主義であるかは疑問で、ロマン主義といったら泉鏡花のほうになるのかもしれないが、それにもかかわらずその文学への信仰にはまぎれもなく、ここで述べたられたいるような「ロマン主義的な心情」があると思う。《時代の功利主義的風潮への反発》であり、それは「私小説派」の対極にあった夏目漱石にも明確に存在した。自分が繊細であるが故に功利主義的時代においては弱者となるという見方は、実は赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」といった本にまで伏流しているのではないかと思う。日本の自然主義文学は西欧のロマン主義文学のきわめて屈折した受容なのであり、そのように受容のされかたをしたという点に、日本の近代化の問題が表れているのではないかと思う。西欧においては近代産業の勃興はその内部でおきてきたわけであるが、日本においては(西欧という)外部から強制された自発的でない出来事であったという違いである。
 「自己責任」の強調は強者の論理である。西欧においては強者であることは価値中立的であるか、あるいはどちらかといえばポジティブな価値であるかもしれない。しかし日本においては強者であることはどちらかといえばネガティブな評価(粗野だとか無神経だとかいったことと結びつく、漱石の「猫」における金田一家のような)と関連するのではないだろうか? 福沢諭吉が「競争」という訳語作って幕府の役人に説明したときに、役人が「西洋の流儀はキツイものだね」と恐れをなした、という話を竹内靖雄氏が「衰亡の経済学」で紹介している。福沢は「なにもキツイことはない、ソレですべて商売世界の大本がきまるのである」と説いたというが、「グローバル資本主義の流儀はキツイものだね」というのが、現在の多くの日本人の実感ではないだろうか?
 
 第6章 自己目的的文学の「作者」
1.ステファン・マラルメ
 ブルジョア産業社会からの隔絶を象徴する詩人である。マラルメは詩の美は詩人の想像力から生まれるのではなく、詩人が使った「単語」から生じるとした。彼は世界にはただひとつの書物があって、さまざまな時代のさまざまな人間がそれをそれぞれに解釈するだけとした。「作者」を追放し、作品があるだけとした。
2.T・S・エリオット
 「伝統と個人の才能」で「脱個性」を説いた。ワーズワースの対極に立つ。
3.「新批評」
 20世紀でもっとも影響力のあった文芸批評の方法論である。1930年〜60年代まで長い寿命を保った。アメリカ南部のナッシュヴィルの大学で生まれた。イギリスの批評家I・A・リチャーズの影響を強くうけている。文学研究ではテキストのみをみればいいとした。作者がどのような意図で書いたかはどうでもよく、読者がそれをどう解釈するかが批評なのだとした。それは1960年代になって反戦運動公民権運動、フェミニズムなどの台頭により、現実を見ない象牙の塔の中の文学研究であるとして否定されていったのだが、文学作品は読まれてはじめて作品になるとした点で、自立した存在としての「作者」に疑問を呈する最近の批評の動向を先取りしたものとなっている。
 《感想》
 「新批評」というのはよく知らないのだが(日本で誰かその流儀で批評を書いていたひとがいるのだろうか? いかにも大学の中の学問としての批評であるという気がする)、エリオットあたりは比較的、こちらの守備範囲の中であるので、あまり教えられることはなかった。わたくしが若いころ心酔した福田恆存はエリオットのよくいえば弟子筋、悪くいえば亜流だったのだろうと思う(福田氏が心酔したD・H・ロレンスはエリオットと対極にいるひとであったにもかかわらず)。
 フランス語がわからないので、マラルメで知っているのは、一生うだつのあがらない中学校の英語の先生だったということくらいである。ここにも自分の好きなことを仕事とするか、他人の受容に応えるかという問題が見えている。マラルメの場合、中学校がパトロンとなっていたということなのであろう。以前のパトロンとは違い、閑職ではなくそれなりの義務のある仕事をさせられたのであろうが。
 リチャーズについてはわたくしのお師匠さんである吉田健一が「英国の近代文学」の中の「リチャァズ、エムプソン、リイヴィス」でこてんぱんに叩いているのを知っているだけである。「I・A・リチャアズは批評も科学の一部門であるといふ立場から書いてゐる」というのがその書き出しである。おそらくリチャーズはケンブリッジで吉田氏が師事したディツキンソンやルカスの反対陣営だったのだろうと思う。「交遊録」の中の「F・L・ルカス」で吉田氏は、「併しルカスの批評、或は所謂、文学上の立場が一九三〇年代の英国の文学界で反感を買つたことは殊に今となつて見れば容易に理解出来る。当時はエリオットが全盛でF・R・リイヴィス夫妻やI・A・リチャアズがその一派に属し、かうしてこの人々を一括して考へる大ざつぱな論法からすればこれは所謂、文学を恐しく真面目にであるよりは鹿爪らしく扱ふ態度に徹した一派だつた」といっている。
 文学を学問としてあつかえるかという疑問がすでにあると思うが、それをさらに真面目にあつかうとどういうことになるか、ということかもしれない。「新批評」というのはいかにも真面目風、学問風のように見える。
 そういえば、著者も文学部で教えているひとである。本書をみるかぎりそんなに鹿爪らしく文学をみているひとではないように思えるが、どうなのだろう。
 次の章は「マルクス主義と「作者」」というきわめて真面目な話題となるのであるが、長くなったので、稿をあらためることにする。