P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(4)第4章「フロイトの錯誤とその壮大な試み」

   ダイヤモンド社 2006年1月
   
 本書ではこの章が一番面白いのではないかと思う。
 ドラッカーは8歳のとき、一度だけウィーンの町でフロイトにあったことがあるという。そのとき両親がこういったのだという。「オーストリアで一番偉い人、もしかするとヨーロッパで一番偉い人にお会いしたのだよ」 ドラッカーの母は当時では珍しい女性で医学部をでたひとだったが、フロイトとその理論について批判的だったにもかかわらず、と。

 ドラッカーによれば、フロイトについては3つの誤解が広がっているという。
 1)貧しかったということ、2)ユダヤ人として差別されたということ、3)ウィーンの医学界に無視されたということ、の3つである。
 このすべてが間違いである、とドラッカーはいう。フロイトは裕福であり、差別されたことはなく、その説は無視されたのではなく拒否されたのだ、と。その理由について、ドラッカーはまさにフロイトの理論を用いて説明していくのである。
 
 論点1)フロイトの医療は反ユダヤ的であった。ユダヤ倫理に反したのである。
 この当時、どんな貪欲な医者でも高い地位につけば困窮者に無料診療をおこなうのが当然であった。それが医師の倫理であると考えられていた。フロイトはそれを馬鹿にした。周囲は、フロイトは医療をたんなる職業のひとつに貶めたの、と感じた。
 また、医師は患者と関わりをを持つべきではないとするフロイトの考えは、医者が患者に親身になることそこ最高の薬であるとする当時のウィーンの医師の信念を逆なでした。フロイトは患者を人間としてではなく、たんなる診療の対象としてあつかうことを主張しているように思われた。
 論点2)近代医学の中での精神分析の位置
 近代医学はフロイトの生まれる数年前に開花したところだった。近代医学を成立させたのは壮大な理論体系の断念であった。病気は多様であり、それぞれの原因、症状、治療を持つという考えが近代医療をもたらした。そこに登場したあらゆる精神障害を同一のメカニズムで説明しようとするフロイト精神分析はそれに逆行するものだった。
 その当時ウィーンの医師会のパーティで演じられたモリエール「気の病」のパロディ。「患者が母親を愛しているのならば、それが神経症の原因。憎んでいるのならば、それが神経症の原因。症状がどうあろうと原因は同じ。治療法も同じ。あと19回の一時間治療。一回50クローネ。」
 論点3)精神分析の効果
 精神分析プラシーボ効果以上のものをもつのかは当時から問題となっていた。比較研究によれば、さまざまなな心理療法のそれぞれの治療法がみな一定の効果を持つとされた。ということは効果がないということなのではないか?
 論点4)精神分析は文学理論か?
 フロイトとその信奉者が、精神分析の目的が病人の治療にあるのか、文芸評論にあるのかが、わからなかった。彼らは患者を説明するのと同じ論理でグリムの童話やシェイクスピアリア王を分析した。むしろ、みなは精神分析の文学への貢献をみとめたものの、神経症の治療法としては懐疑的だった。
 論点5)性的な抑圧と金銭的な抑圧
 ドラッカーによれば、精神分析の登場は性に対するビクトリア朝時代の抑圧が背景にあるという説明がよくされるが、これはアメリカはともかくとして、イギリスにはあてはまらない、イギリスにはそのような抑圧はなかったし、フロイトが開業していた当時のオーストリアにもなかった、という。世紀末ウィーンは、性に関してはいたって放縦だった、と。
 フロイト自身はきわめて清教徒的であり、性の自由を支持したりはしなかった。ドラッカーは、フロイトが性の抑圧の問題をとりあげたのは、当時のヨーロッパで本当に存在していた抑圧、金銭に対する抑圧の問題に直面しないためだったのではないかという。当時のウィーンでは金銭があらゆるものを支配していたにもかかわらず、それは話題にしてはならないものとされていた。まともな家では金銭のことは口にしないのが慣わしだった。しかし、誰にとっても金銭が最大の関心事だった。それを抑圧したことにより、当時の中産階級の強迫観念となっていた「貧乏恐怖症」が生まれた。わが家は貧乏になるのではないか? これでは収入が足りないのではないか? 家族の期待に応えてはいないのではないか? といった不安が蔓延していた。金銭への無関心を装いつつ、ついつい金銭を気にし、金銭を話題にするという神経症ドラッカーは「貧乏恐怖症」と呼ぶ。フロイトはまさにこの「貧乏恐怖症」にかかっていたのだ、というのがドラッカーの説である。フロイトがさかんに自分が貧困のもとで育ち、医師としても裕福に暮したことがなかったことを強調するのは、まさにその症状だというのである。
 論点6)フロイトユダヤ人として非ユダヤ人から差別されたのではなく、フロイト自身が(男性の)非ユダヤ人とはつきあうことができなかった
 その当時のオーストリアユダヤ人は完全にゲルマン化していたのであるが、精神分析の世界には非ユダヤ人はいなかった。そこでフロイトは非ユダヤ人を自己の陣営に引き入れようとしたのだが、結果としてユングをはじめとして男性非ユダヤ人とはすべて離反してしまった。フロイトの周りにはユダヤ人しかいなくなった。それを説明するために、フロイトは自分が差別したのではなく、自分が差別されたのだといいはったのである、とドラッカーはいう。
 論点7)フロイトは学界から無視されたのではなく、否認された
 学界から否認されているという事実をフロイトは受け入れることができなかった。だから、無視されたといいはるしかなった、というのがドラッカーの説である。実はフロイト自身も医学界からの精神分析への疑念に同調するところがあったのではないか、と。医学界からの批判は、科学としての医学からの批判である。しかしフロイトの体系は単なる医学の範疇におさまるものではなかった。啓蒙思想の理性主義が近代医学を産んだとしても、それは人の心の中までは踏み込めていない、というのがフロイトの問題意識だった。自分の理論は科学としての理論、物理化学現象のような科学としての精神の理論であるという立場を終生崩さなかった。しかし、フロイトの中には、啓蒙思想の子である理性主義者としてのフロイトと、魂の暗夜を生きる夢想家にして詩人であるフロイトの二人がいた。その二人を一身の中で体現させようというのがフロイトの理論であった。したがって、啓蒙の理性の側からの批判をいったん受け入れてしまうと、夢想家にして詩人の部分まで一挙に崩壊してしまうことが必定であった。だから理性の側からの疑念をまともに相手にするわけにはいかなかった。その批判を無視し、批判は知らぬ顔して、自分は無視されているといいはるしかなかった、とドラッカーはいう。
 近代の西洋社会に大きな影響をあたえた3人の思想家、マルクスフロイトケインズはみな、科学と魔術の統合、論理と経験の体系化をめざし、「不合理ゆえに我信ず」の立場にあった。理論と経験の微妙なバランスの上になりたつフロイトの理論は、個々の問題提起に答えてしまうと、そのすべてが維持できなくなる構造をもっていた。フロイトデカルトの理性主義と魂の暗夜の統合という壮大な目標をめざしたのだが、それは脆弱な基盤の上にたつ理論であり、結局は崩壊する運命にあった、とドラッカーはいい、だからこそ啓示的、魅惑的、感動的な体系なのでもあるともいう。
 
 以下、この論点について考えていく。
 論点1)から論点3)まで 近代医学と精神分析
 近代医学は、病人から病気を抽出することによって成立した。結核症は結核菌があればおきるものではないが、結核菌がなければおきない。しかし、医療行為は病人を診ることなしには成立しない。これは医療の世界の根底にある矛盾で、その矛盾を無視することでしか近代医学はなりたたなかった。
 そこで問題は、人間から独立して存在する精神などというものがあるだろうか、ということである。精神の医学において結核菌に相当するものがあるのだろうか? フロイトはそれを見つけたと主張したわけである。しかしそれは顕微鏡でみることできず、血液で測定することもレントゲンで見ることもできないものであった。将来、脳内のセレトニン濃度を非観血的に簡単に測定することができるようになるかもしれない。しかし、脳内の無意識の構造などというものが見えるようになるなどということは、未来永劫ありえない。
 そうであるとすれば、精神医学は医療行為と不可分なものとしてしか存在しえないのではないか、それが精神分析をふくめた精神医学の一番の問題なのではないかと思う。それは誰がおこなうかによって決定的に結果が違ってきてしまうもので、決して科学的な手続きには還元できないものであろうと思う。
 精神分析の最大の業績は転移という現象の存在の指摘ではないかと思うが、フロイトが医師は患者とかかわりを持つべきではないとしたのも、転移の力のあまりの大きさに気がついたからであって、そう心がけるのでなければ、精神分析は魔術や呪術の世界、啓蒙の理性とは縁もゆかりもない世界に陥ってしまうからなのだと思う。それにもかかわらず、もしも精神分析治療というものが有効性を発揮できる場面があるとすれば、それは転移を利用してでしかないのではないかと思う。ただ転移という現象がおきていることを理性で自覚しているということが大事なのである(魔術であれ、呪術であれ、それをおこなっているものは、転移という言葉は知らないとしても、なんらかそれに相当する現象の存在を理性で自覚しているであろうと思うが)。
 フロイトの最大の医学への貢献は、臨床医学の現場でおこなわれているのはどういうことなのかということを明らかにしたことにあるのではないだろうか? フロイトはそれをなんとか理性の場にしたいと思ったわけである。しかし、いまだに臨床の場は、魔術の世界でもあり、呪術の世界でもあるのだと思う。医者がいまだに必要とされている理由の最大のものがそれであろう。
 病歴をモニター画面に入力し、血液データをコンピュータが自動解析し、レントゲン画像をソフトが自動判定して、一切の医者の診察なしに診断と治療方針がきまるシステムを構築することは容易であろう。しかし、患者さんの多くはそれには納得しないであろう。もっとも医者の代わりに「人口無脳」などをおいておけば、相当程度代用できるだろうとは思うけれど。
 
 論点4)精神分析は文学理論か?
 岸田秀氏や河合隼雄氏の日本についての精神分析的な解析は本当に面白い。個々の患者症例の精神分析による説明は、眉唾というかそんなのはありえないと思うようなものが多いが、歴史の分析とか現状の説明とかは素直になるほどと思えるものが多い。おそらく精神分析という分野がいまだに大きな魅力をもっているのは、それによるのではないだろうか?
 それはわれわれが古代から物語というものを持ってきたことと深く関係しているように思う。われわれは物語の形で提示されると、何事かが直感的にわかるのである。精神分析というのも、ある人の人生についてのひとつの物語を作り上げるという要素が強いと思う。問題はそれが整合性があって説明力が高い物語であることが大事であって、本当であるかは二次的なこととされてしまうところにある。科学としては本当であるかどうかがどうでもいいというのは困るのである。ところが歴史であるとか日本の現状であるとかは、もともと無数にある事実の中からある部分をとりあげて論じるしかないものなのであるから、とりあえず事実の集合を利用してある物語を作り上げることは可能でもあり、説得性ももちうる。
 精神分析というのは、われわれの生の科学的理解ではなくて、文学的理解なのだと思う。フロイトが科学であるとした部分は現在ではほとんど全滅であろうから、これから生き残るとはとても思えない。しかし人間が物語りを必要とする動物であるということがある限り、文学のための豊穣な土壌を、これからもずっと提供し続けるのではないかと思う。
 
 論点5)性的な抑圧と金銭的な抑圧
 自分のことを考えてみても、若いころは相当に性的な抑圧が強かったように思うが、それはどんどんと薄まってきているように思う。しかし金銭への抑圧は、一貫して強くあるように思う。フリードマンらのシカゴ学派には親近感を感じる部分が多いのだが、一番違和感を感じるのが彼らの金儲けに対する、あっけらかんとしたとしかいいようにない肯定である。なんだかはしたない感じがする。仕事をしているときに、ワンルームマンションを買いませんかとか、蚕の相場はいかがですかといった勧誘でかかってくる電話ほど腹立たしいものはない。なんでこんなに腹が立つのかとおもうほど腹が立つ。明らかに自分の病理に根ざしているのだろうとは思うのだけれど、どうにもならない。投資とか投機といった話が嫌いなのである。なんだか汚らわしいと思っているように思う。バブルのころに投機をしない人間は世捨て人であるとかいっていたひとがいたが、世捨て人になりたいと志向がどこかにあるのだと思う。もちろん、恒産なければ恒心なしと思っているし、飢えたら犯罪でもなんでもするだろうとも思うけれども、金など食べていけるだけあればいいのではないかという思いが捨てがたく、どう考えても資本主義社会に非適合な人間なのだと思う。
 ドラッカー市場原理主義的ないきかたには批判的であることは明らかなのだが、それは金銭に対する抑圧のせいなのだろうか?
  
 論点6)と7)啓蒙の理性と魂の暗夜
 啓蒙とはなにしろ enlighten なのであるから明るく照らすのである。一方、フロイト以来、魂というのは底なしに暗い泥沼のようなものになってしまった。啓蒙以前は、原罪であるから暗かった。暗い世界に啓蒙が光をもたらし、フロイトがまた闇夜にしてしまった。フロイト理論というのは原罪意識の近代版というところがあると思う。
 中村光夫三島由紀夫の対談(「人間と文学」で、中村光夫が「西洋人の性欲というのはほんとにすごい」というようなことをいって、「おまえは罪人だといわれてほんとうに罪があると思うのはエロティシズムだよ。日本人だと何言ってるんだと思う」といい、「キリスト教がどうして日本でうまくいかないか、逆にいうとキリスト教がどうして西ヨーロッパで栄えたかというと、あれはやっぱり西洋人がキリスト教というタガをはめるに足る強い肉体を持っているということだね」といっている。
 一般には理性(頭)と性欲(体)は対立するものであると思われていて、啓蒙思想が理性一辺倒でいこうとしていたところに、フロイトが何か大事なものを忘れていませんかといったというのはあんまりな見解かもしれないが、理性と結びついていると思われていた魂を、性欲のほうに結びつけてしまうという方向転換があったことは間違いない。しかし、フロイトはあくまで科学、理性、啓蒙の方向からアプローチしているとしたわけである。しかし、その方向でいくより、D・H・ロレンスなどのように理性などクソ食らえという方向のほうがはるかに徹底性があるように思える。「明るさは滅びの姿だろうか。暗いうちは人も街も滅びぬ」というのは太宰治だったかと思うが、文学は暗いほうを好み、一方科学は明るさを志向する。科学で魂に迫るというフロイトのいきかたは土台、無理な試みであったのであろう。
 ここにも書かれているように近代医学は壮大な体系を放棄することによって学問として成立した(わたくしには看護の世界はいまだに壮大な体系への試みをすてきれていないように見える。いたって現実的な人間であったナイチンゲールにはそういう志向は一切なかったと思うのだが)。しかし、壮大な体系が多くのひとにとって魅力的であるのは事実のようで、文学者などはフロイトの理論からいまだに多くのインスピレーションを得ているようである。
 科学としてはフロイトの体系が成立しないことはもはや明らかなのだが、ひとは自分のことが自分でわかっていることはない(まさにフロイト自身がその典型例であったというのがここでドラッカーがいっていることなのだが)という洞察は、啓蒙思想に由来する人間理解への最大の抗議となったものと思われる(しかし、それが他人である医者にはわかるというのはとんでもない傲慢であるとも思われるが)。
 フロイトの体系は、自然科学の領域ではもはや死んでいて、人文科学の領域でのみ生き残っているのだと思う。それならば精神分析は人文科学なのだろうか? わたくしにはそれは究極の職人芸、手作りの作品製作のようなものなのだと思う。絶対にマニュアル化できない世界である。いまだに精神分析の世界では一子相伝、免許皆伝みたいなことがおこなわれているのも故なしとしない。河合隼雄氏にしかできない治療などというものが学問化できるだろうか? 河合氏のまねをしていて試みられているさまざまな心理療法は多くの場合、クライアントをかえって悪くしている、少なくともこじれさせている場合が多いのではないか、というのがわたくしのもつ偏見である。カウンセリングに通って、いい方に転じたひとというのをあまりみたことがない。
 
 ここで描かれたフロイト像があまりに面白いので、ドラッカーによる修飾が相当にあるのではないかという気もする。フロイトの信奉者であるピーター・ゲイの浩瀚な伝記(「フロイトみすず書房)の「はしがき」(この伝記はここの部分以外はぱらぱらとしか読んでいない)にも、「フロイトはかならずしも彼自身に対する最良の審判者ではなかった」とあり、フロイトは「精神分析の仕事は「冷静に悪魔と闘う」ことで、その悪魔とは不合理なもののことである」としたとある。ドラッカーが本章で提示したような疑問は、ここでも提示されており、「フロイト実証主義的な学者だったのか。朦朧としたロマン主義者だったのか」「彼は事あるごとに自分の不遇を嘆いたが、本当にそれほど当時の医学界で孤立していたのか」「ユダヤ人だったせいで大学で出世が遅れたというのは事実か」「精神分析は科学か、芸術か、それともペテンなのか」などなど。
 ゲイは「フロイトは自分のことを征服者と呼んだが、本書を読めば、彼の数々の征服の中で最も劇的な征服が、未完に終わったとはいえ、自分自身の征服であったことがおわかりいただけるだろう」という。フロイトの学問はまず第一に自分自身を理解し救済するためのものだったとすれば、ドラッカーの批判は少し的を外していることになるのかもしれない。
 ゲイもいうように「西洋人自身の西洋文明観はフロイトの出現によって根底から変わってしまった。それも永遠に」というのは事実であり、フロイトが提示した解答はもはや受け入れることはできないとしても、提示した問題はそのまま残っているということなのであろう。大切なのは、答えを出すことではなく、問題をみつけることなのだと思う。
 ゲイもいうように、「精神分析家たちは、フロイト精神分析という宗教の教祖であり、その言葉は反論を許さぬ教皇の託宣であるかのような態度をとってきた」ようにみえる。およそ科学とは相反する方向である。
 ところでドラッカーの本を少し読んできて、その解説などをみていると、ドラッカーという人間もまたなんだかそのような扱いを受けているように思えなくもない。現在「ドラッカー名著集」全15巻が刊行中で、その著作を入手する上ではとても便利なのだが、赤と金色の(わたくしにいわせれば)悪趣味な装丁で、それが本棚にずらっと並んでいるところを想像すると、なんだかなあである。社長室の書棚などの必需品になっているのだろうか? 現代の予言者、現在の問題点はドラッカーにきけばすべて解るとでもいいたいような祭り上げかたである。
 ドラッカーの本を読んでいるかぎり、そういう態度こそもっとも氏が否定しているものであるように思えるのだが、どうしてそうなるのだろうか? 前に述べた竹森、山岡、野中、三氏の鼎談で、ドラッカーは「テレビを一切見ないひとで、書斎には、哲学、歴史、英文学や美術の本が並び、英国のジェントルマンが好きで、なぜかといえば、彼らが「Nothing to do, except to think 」なのだからとした」と紹介されている。経営者の書棚にドラッカーの本だけがずらっと並んでいるというというようなことがあれば、それこそが多元論者のドラッカーが否定したことなのだと思うのだが。