D・ロッジ「ベイツ教授の受難」

    白水社 2010年4月
 
 イギリスの現代の作家ロッジの最新の小説の翻訳である。最近、なんとなくイギリスの小説を読みたい気分になっているのと、新聞でこれが老人問題をあつかっていると書いてあったので読んでみた。
 ロッジは「コミック・ノヴェル」の大家ということなのだが、読み始めた当初はどこかで似たような小説を読んだことがあるという既視感があった。途中で、丸谷才一氏の最近の小説「女ざかり」とか「輝く日の宮」などかなと思いあたった。とにかく作り物めいた感じがずっとつきまとう。小説なのだから作り物であるのは当たりまえなのだが、作者が面白がっているであろうほど、読者は面白くないというか、作者はここで読者を面白がらせようとしているなという手つきが見える感じでしらけるというか、なんだかなあと思いながら読んでいたら、最後のあたりにきて急に調子が変ったのでびっくりした。途中まで老人問題といっても呆け老人を面白おかしく書いているだけではないかと思っていたのだが、それが急にシリアスになり、主人公の父親が倒れ、それがなんとアウシュビッツと重なってくることになる。ようやく本当の老人問題がでてくるのかなと思ったが、それは父親の死という機械じかけの神様に救済されてしまう。老人問題というのは死なないことあるいは死ねないことにあるのだが。
 主人公の最初の妻は癌で死ぬのだが、その最後、「クリスマスの週の終わりに、主治医は、「新年の休暇のあいだもつよう」、いつもより多い量のディスタルジェジックを処方してくれた。そして、それを私に渡すとき、私の目をじっと見ながら言った。「これを大量にアルコールと一緒に服用すると危険ですよ」。大晦日に、私は二十錠のディスタルジェジックを砕き、それを温かい牛乳とブランデーを混ぜたものに入れ、メイジーが飲むのを手伝った」という過去をもっている。それで倒れた父について胃ロウを作るかどうかを医師に選択をせまられたとき迷う。医師はいう。「私たちは家族の意思に従いたいのです。延命措置を講ずることはできますが、生活の質はあまりよくない。あるいは、自然に成り行きに任せて、お父様をできるだけ快適にして差し上げることもできます。それは実際、あなた次第なんです」 主人公は「その選択を迫られたのは、気に入らなかった。まったく気に入らなかった。」 しかし主人公は選択を回避できてしまう。父の肺炎の悪化がそれを必要とさせなくしたからである。
 それで本書のもう一つの主題が自殺ということになる。主人公に絡んでくる変な女子学生の研究テーマ?が「遺書の文体分析」という奇妙なものなのである。このアレックスという女子学生の造形が著者のもっとも苦心したところなのだろうと思うけれど、とにかく魅力のない人物としか書かれていないのがつらい。それでシリアスとなるまでの部分が長すぎると感じられてしまう。
 さらにもう一つ、本書を読んでみようと思ったのは、主人公が難聴であるという設定と紹介してあったことによる。著者のロッジもかなりの難聴らしい。それで自分の経験を生かし、主人公の難聴のさまざまな喜劇を楽しそうに書いている。実はわたくしも数年前の経度の突発性難聴以来、少し左耳に耳鳴が残っているので、そのほうからの興味もあったのだが、わたくしの症状があまりに軽すぎるため、共感できるまでにはいたらなかった。
 老人問題を書くというのはとても難しいのだと思う。本書を読んでいても、なんだかきれいごとだなあと思えてしまう。それに最後がなんだか一種のハッピィエンドであるのも気にいらない。老人問題は死という問題もあるかもしれないが、もう一つ夫婦の間ががたつくということもあるはずで、夫婦が仲直りしてしまう結末を読むと、作者がもう一つの老人問題からも逃げているように思えてしまう。こちらの偏見かもしれないが。
 

ベイツ教授の受難

ベイツ教授の受難