入院日記(5)6日目・退院

 
 本日は特に書くことがない。ただ退院しただけという感じ。入院していたので一応、手術痕を診てもらうことはしたが、昨日退院でもいいとされていたわけだから、絶対にしなくてはいけなかったことというわけではない。
 この手術としては随分と経過がいいほうらしい。自分でも5日前に手術をしたという実感がすでにあまりない。もう日常動作ではほとんど痛みはない。咳をしたりすると痛いがそれも随分と軽くなってきている。たとえば今パソコンに入力していて、椅子にすわっている姿勢ではまったく体を意識することがない。歩いたりもほとんど問題ないし階段昇降も大丈夫である。
 手術翌日の昼から流動食が開始、夕から五分粥、その翌日一日は全粥、手術後3日目からは普通食であるが、無理にではなく全部食べられてしまう。実は執刀医も胆石手術の経験者で、自分の時はもっとつらかったらしく、こちらが全部食べていますなどというと、「大丈夫ですか? 無理しなくて食べられるだけでいいんですよ」という。しかし、本当に無理などしていないので、実は術後2日目から間食もしていた。こんなことでは術前斎戒沐浴してせっかく2キロほど減ったのにあっというまに元の木阿弥になりそうである。
 なぜこんなに楽に終わったのか? 1)わたくしの普段からのこころがけがいいから、2)偶然、3)何か特定の原因によって、のうち1)はありえないのだから、2)なのであろうが、外科の医師と話していてあるいはと考えたのは以下のようなことである。腹腔鏡手術には、気腹式とつりあげ式という二つの方法がある。前者は腹の中に気体を入れるやりかたで、後者はお腹の皮膚をひっぱりあげるやりかたである。ともにお腹の中にスペースを作って観察をしやすくするための操作なのであるが、わたくしが受けたのはつりあげ式であった。これは腹直筋あたりをひっぱりあげる。とすると普段腹筋を鍛えているようなひとはそのつりあげに抵抗が大きい。しかしわたくしのように普段全然運動をしない腹筋が弛緩しているような人間は抵抗が小さく、その操作による筋の断裂とかがおきにくかったのではないかということである。まあこじつけであろうが。
 というわけで運動をしてこなくてよかったではないかという理屈なのだが、わたくしの胆石はコレステロール結石で今までの食生活などのなれの果てとしてできたものであろうから、人間万事塞翁が馬、何がよく何が悪いかなど所詮わかるはずはないということなのであろう。
 入院すれば少しは患者の気持ちがわかるいい医者になれるかとも思ったのだが、どうもそれは駄目だったようである。これから唯一使えるかもしれないのは胆石の手術をしようかどうか迷っている患者さんに、「実はぼくも手術したんですよ」ということで、これは結構効き目があるらしい。大部分の胆石は手術しなくていいわけであるが、一度発作をおこしたが落ち着いたひとというのは結構迷うものである。もちろん決断するのは患者さんであるのだが、こちらが「ぼくの場合は手術しましたが楽でしたよ」ということは嘘ではない。
 
 入院日記(番外)入院中に読んだ本など。
 入院予定がきまったのが一ヶ月以上前で、入院のスケジュールを見ると、術後翌日こそいろいろなことがあるが、2日目からは朝の回診、ガーゼ交換以外にほとんど予定がない。それでひょっとしてと思い、i-podに音楽をつめこみ、i-padにビデオをダウンロードしなどと遠足前の小学生のようにわくわくしていたのであるが、予想としては結局はよれよれひょろひょろで何もできないのだろうなと思っていた。しかし存外楽な時間が多かった。そうなるとヘッドフォンで音楽を聴くとかi-padでビデオを見るというのは何となく受け身で、もっとなにもできない重症の場合にふさわしいような気がして、結局、本を読む時間が多くなった。
 持ち込んだ本は、吉田健一「英国に就て」(ちくま文庫)、「英語と英国と英国人」(講談社文芸文庫)、「金沢 酒宴」(講談社文芸文庫)、須賀敦子「ミラノ 霧の風景」(白水Uブックス)、「須賀敦子全集 第2巻」(河出文庫)、ディケンズ「荒涼館」1〜4(ちくま文庫)である。ディケンズはこんなときにしか長編を読めるときはないなということでだが、結局、導入でなかなかリズムに乗れず、第一巻の真ん中あたりからようやく調子に乗れてきたが、結局第1巻だけで退院になってしまった。今の印象は、ディケンズドストエフスキーみたい。キャラがみな濃く、すべてが隈取をしているようである。須賀敦子は逆に短いエッセイみたいなのしか読めないかもと思いもっていったのだが、イタリア関係のものが面白く、父との関係もふくめ家族のことを書いたものは本人にとっては切実なものなのであろうが、生煮えに部分が残っているような気がした。ナタリア・ギンズブルグという作家の本を読んでみたくなった。
 吉田健一の英国論もやはり短いエッセイということでもっていったのだが、昭和28年の英国視察?あたりを中心にした英国論・英国人論はほとんどが再読であるが、とても面白かった。これと「英国の文学」あたりが吉田健一の基底であったのだなということを強く感じた。
 今回の入院の目玉?は「金沢」であって、吉田健一の長編の内、これだけがどうしても読了できないでいた。今回ついに読了した。しかし頑張ってというか意地をはってというか無理をしてというかであって面白いなという感じはついに持てなかった。いつも大体、冒頭の内山という主人公の紹介あたりで挫折していた。何かいい気なものだなあという気がしてきてしまうのである。いい気というはあるいは違うかもしれないのだが、「瓦礫の中」の主人公は防空壕暮らし、「絵空ごと」は文字通りに絵空ごとなのであるが、「金沢」という幻想小説というかユートピア小説というかの主人公、東京で屑鉄を商いながら金沢にも別宅を持ち優雅な生活をしている内山という男の生活にどうにも感情移入ができないのである(せめて女でも囲っていてもらいたいものである)。「瓦礫の中」にしても「絵空ごと」にしてもどこかではわれわれの生活と関係しているという気がするのだが、「金沢」ではそれが見えない。われわれが毎日その日その日を送っていると自ずからそれとは違う日の送りかたというのが空想されてくるでしょうといった方向ではなく、内山というひとの東京での生活というのは一切問題にもされておらず、ひたすら金沢での清談というのか君子の交わりというのかが異様に真剣に語られていく。「瓦礫の中」にはユーモアがあった。しかし「金沢」には笑いはない。そのかなり最後の方に、「内山は救いを求めるように」とか「女が又座って危機は去った」とかいう文がある。内山は決して安心立命の境地にいる人ではない。もちろん、つまらぬ生活の悩みなどは超越しているひとなのであるが、それでも内山は何かの迷いの中にいるひとなのである。
 「英国人が文化というようなことを余り考えないのは、そういうものが幾らあってもいずれは死ななければならない我々にとって、どれだけ意味があるのかという観念がそこに強く働いているからである。そして、これは無常を感じることとも違っていて、英国人はやがては過ぎ去る我々の命をはかないと見る代りにこれに執着し、生きる喜びをこの地上に生きているものとしてすべてに優先させる。またそれと一体をなしているのが、もっと本式な英国人の絶望、或は厭世観、あるいは現実主義で、いずれは死ぬ人間であっても死ぬまでは生きていなければならず、それ故にそれまではただ堪えていなければならない」という文章がある(「英国の文化の流れ」。これが吉田健一通奏低音で、これが氏の言う文明なのである。とすれば歴史上、文明が実現された時代とそうでない時代があり、文明が実現されている時代同士はそれが文明であるという点で相互に対等であって優劣はないことになる。つまり吉田氏の文明観は無時間的なものである。ところが「ヨウロツパの世紀末」で初めて歴史的な流れがそこに導入されてくる。それにより吉田氏はある飛躍を得て、「瓦礫の中」や「絵空ごと」が書かれることになる。しかしふたたび無時間の方向がでてくる。それが「時間」である。「時間」に書かれていることは無時間ではなく、時間の流れなのであるが、そこでは流れる時間、すなわち現在しかなくなってしまい、歴史はふたたび消失する。この「歴史」と「無時間」の相克というのが氏の晩年の主題であったのだと思うのだが、それに決着がついたわけではなかったと思う。「金沢」は「歴史」からふたたび「無時間」の方へ回帰しようとしていた時期に自己説得のために書かれたものであって読者のためというよりもまず自分のために書かれたものなのではないだろうか。あの異様に晦渋な文はそのためなのではないだろうか? たまたまこ講談社文芸文庫版では「酒宴」も収載されている。「酒宴」のなんとも幸福な文と「金沢」の異様な文を較べると氏の晩年にあったある種の苦しさを想像せざるをえなくなる。
 「併しそれにしても、どんなに大きな料理屋の座敷だろうと、何十尺もの高さがあるものが方々に横倒しになっては、いる所がなくなる筈だということに気が付いて、我々がいつの間にか場所を変えて山の上の草原に出ていることが解った。大きなタンクが立ったり、倒れ掛って岩に支えられたりしていて、自分はそれを取り巻いて神戸からその後の連山まで伸びている途方もなく大きな蛇になっていた。その尾は神戸の港に浸り、頭は御影から又戻って来て顎をタンクの群の傍に置いて、眼はまだ半ば開けていた。その晩も月が出ていて、ガス・タンク程もある胴体の銀鱗が月の光を反射して所々に大きな水溜りのような斑点を作っていた。そして神戸の町では消防自動車や救急車がサイレンを鳴らして行き来し、自衛隊の戦車を先頭に立てて松明をかざした一隊が、麓の方からこっちに登ってくるのが見えた。(「酒宴」)」
 「そこに普通に自然と呼ばれているものの欠陥があって山が語り掛けると言ってもそれは殆どそうするのであってその声を聞くとか聞かないとかいうのが全く精神状態の問題になる。その肉声を現に聞くことは出来なくて草木に至るまで音が言葉になることはないが今ここにいるのはどういう話をしても言葉で答えが得られる相手でもあった。(「金沢」)」
 「酒宴」の文は読んですぐに意味がわかる。「金沢」では頭ではわかったように思うが本当に納得でききるわけではない。
 わたくしにとっては吉田健一という文学者は何よりも観念論とたたかう人なのであった。それで「時間」で吉田健一が述べたようなことは観念論なのではないか(「理屈」に過ぎないのではないか?)ということが問題になる。吉田健一は最晩年の時間論が観念論なのではないかということをとても気にしてのではないかと思う。そうではない、それは生活の実感なのであるということを言いたかったのだと思う。しかし論として書くとそれはつねに観念とは切り離せなくなる。それで小説が要請されてくることとなる。だが、そうだとすると小説が小説としては自立しておらず、ある説に奉仕するだけのものとなってしまう。そういうものは吉田氏自身がもっとも嫌ったものなのではないだろうか? そうではない「金沢」を見よ。そこには観念ではない生活感情としての時間が提示されているということが吉田健一のいいたかったことなのではないかと思う。そして、わたくしは「時間」そして「金沢」は氏の願望を語ったものであって、決して実感を語ったものではなかったのではないかと感じている。
 

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

英国に就て (ちくま文庫)

英国に就て (ちくま文庫)