2007-01-01から1年間の記事一覧
J・バンダ「知識人の裏切り」 未来社 1990年
ちくま学芸文庫 2002年 海野弘氏の「二十世紀」の感想を書いていたとき、氏が、ナチスがなぜドイツで政権をとることができたのかについて、「ヒトラーは今なお、二十世紀の謎をつきつける」と述べ、ダヴィドという人の「たとえば人種主義ひとつとりあげ…
世界の名著36「コント スペンサー」中央公論社 1970年
呉智英「健全なる精神」 双葉社 2007年6月 荒川洋治「黙読の山」 みすず書房 2007年6月 松岡正剛「千夜千冊 虎の巻」 求龍堂 2007年6月
D・ヒューム「自然宗教に関する対話」 法政大学出版局 1975年
H・ベルクソン「時間と自由」 岩波文庫 2001年 H・ベルクソン「思想と動くもの」 岩波文庫 1998年 H・ベルクソン「物質と記憶」 ちくま学芸文庫 2007年2月 H・ベルクソン「道徳と宗教の二つの源泉 Ⅰ Ⅱ」 中公クラシックス 2003年
W・ジェイムズ「プラグマティズム」 岩波文庫 1957年 W・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」 岩波文庫 1969年
M・バレス「精霊の息吹く丘」 中央公論新社 2007年5月
横光利一「上海」 講談社文芸文庫 1991年 横光利一「欧州紀行」 講談社文芸文庫 2006年12月 坂口安吾「教祖の文学/不良少年とキリスト」 講談社文芸文庫 1996年 海野弘「アール・ヌーボーの世界 モダン・アートの源泉」 中公文庫 1987年 …
人間には本性、たとえば人間性といったものはないとローティは主張するのだが、そうするとある人が別の人のためになにかするといったことがあった時に、それの説明として人間性などというものを持ち出すことはできなくなる。それはたまたまのことであること…
倉橋由美子「パルタイ」新潮文庫 1978年 内田樹「街場の中国論」 ミシマ社 2007年6月 西村朗対話集「作曲家がゆく」 春秋社 2007年5月 鹿島茂「ドーダの近代史」 朝日新聞社 2007年6月 J・ジェル「第一次世界大戦の起源 改定新版」 みす…
50年代:イギリスの「怒れる若者たち」。オズボーンの「怒りをこめてふりかえれ」の中の台詞「俺たちの世代というものは、何か、優れた主義の為に死ぬなんて事は出来なくなっている。(中略)何かもう、すぐれた勇敢な主義なんて残っちゃいないんだ。」 ま…
A・J・P・テイラー「イギリス現代史 1914−1945」 みすず書房 1987年
文藝春秋 2007年5月 二十世紀を10年毎の区切りで論じたものである。もっぱら世界の動きが論じられており、日本はとりあげられていない。同じタイトルの橋本治「二十世紀」(毎日新聞社 2001年1月)が編年体でかつ日本の相当のページを割いている…
岡部勉「合理的とはどういうことか 愚かさと弱さの哲学」 講談社選書メチエ 2007年5月 海野弘「二十世紀」 文藝春秋 2007年5月 デュ・モーリア「レベッカ」 新潮社 2007年5月
第6章から第8章は、デリダ、ナボコフ、オーウェルが論じられているのだが、わたくしはデリダをまったく読んでいない。ナボコフは「ナボコフ自伝 記憶よ、語れ」(晶文社 1979年)と「ヨーロッパ文学講義」「ロシア文学講義」(TBSブリタニカ 198…
岩波現代文庫 2000年9月 ポストモダン関係の本を読んでいると、ハイデガーは逸することのできない名前であることがわかる。それで以前読んだこの本を引っ張り出してきて読み直してみた。ハイデガーの本を読んでも少しもわからない(というか読む気がし…
2ヶ月以上前から左耳の調子が少し悪い。おそらく突発性難聴あるいはそれに類似の疾患と思われる。そうはいってもいたって軽症である。インターネットで突発性難聴について検索すると、さまざまな方の体験記がアップされている。いきなり聴力がゼロになると…
岩波文庫 2006年 今回、これを読んだみたのは、昨年岩波文庫から新訳がでたからなのだが、昨年、一度読み出して、2巻ほど読んだところで、このままいくと4巻くらいから続刊待ちをすることになることに気づき中断、あらためて今年の4月くらいから読み…
K・ステルレルニー「ドーキンス vs. グールド 適応へのサバイバルゲーム」 ちくま学芸文庫 2004年10月
R・ドーキンス「神は妄想である 宗教との訣別」 早川書房 2007年5月 D・デイヴィッドソン「主観的、間主観的、客観的」 春秋社 2007年4月
ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」を少しづつ読んでいるが、あまりにこちらの知識が乏しいため、いささか息が切れてきた。それでしばしの息抜きとして(などというと著者の本上氏に失礼だが)、本書を読んでみた。偶然、本屋で見つけた本で、著者につ…
この章では、ニーチェ、ハイデガー、プルーストがとりあげられるのだが、困ったことにというか、情けないことにというか、わたくしはそれらの人の著作をほとんで読んでいない。ニーチェは「悲劇の誕生」と「ツアラツストラ」、それに最近刊行の超訳?「キリ…
本上まもる「<ポストモダン>とは何だったのか」 PHP新書 2007年5月 福岡伸一「生物と無生物の間」 講談社現代新書 2007年5月 茂木健一郎 江村哲二「音楽を「考える」」 ちくまプリマー新書 2007年5月
正直いって、この章は何をいいたいのかよくわからなかった。ハーバーマスへの反論なのかもとも思うが、ローティの《公共性と私を統括する共通原理はない》とする主張の弱点があらわになった章であるかもしれない。ローティはニ方面を防御しなければならない…
真理の存在を否定するものは、相対主義者、非合理主義者と非難される。 客観的な道徳律の存在を疑うものは、非道徳の嫌疑をうける。 そのような非難にまともに反論することは、実は真理と道徳律の側の土俵で議論してしまうことになる。なぜなら、そういう議…
この章は哲学と詩の対立という問題をあつかう。 自分を自分以外の人間から区別するものは何か?とローティは問う。 その回答として、もしも自分が他と異なる何かを見出せるとすれば、自分は他の人間のコピーあるいはレプリカではないことになる、という方向…
池内紀「作家の生きかた」 集英社文庫 2007年3月 ブッツァーティ「神を見た犬」 光文社古典新訳文庫 2007年4月
NTT出版 2006年4月 稲葉氏には、以前、わたくしが庄司薫について論じた文をとりあげていただいたことがあり http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070101、その後しばらくは、わたくしのブログもいささかにぎわうことになった。遅まきながら、記…
東浩紀「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」 新潮社1998年